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2010.07.24

海を渡ったG戦士達~上原浩治、仁志敏久、高橋尚成

巨人時代と顔、いや、髪型が違うなぁ上原。坊主頭に揉み上げ長し。

昨年の5月、試合中に右ひじを痛めて故障者リスト入り。てか、もしかして、巨人時代からその兆候はなかったの?と、素人は思うわけで。トレーナーが見てもわかるような落ち込みよう。疲労の蓄積と言おうか。

う~ん。そこにメジャーリーグがあるから選ぶわけですね。やらないで諦めるよりはやってみたい。後悔だけはしたくない。でも、本人は脂の乗った20代後半に行きたかったんだ。とはいえ「来てよかった」「日本の10年間が吹っ飛んだような感じ」

松井秀喜の存在が、上原を始め仁志、尚典に多大なる影響を与えたんだろうなとも思うし。生涯巨人で、ってことにこだわる選手が減った証明だとも思うし。

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2010年6月22日、中継ぎ投手として復帰。「引退は常によぎってるよ。目標を一つ立てて、それに向かって頑張れる。だから1か月のリハビリに耐えられる」

「30過ぎた人間(→上原)が、少年のような顔つきで野球やってるのを見て、俺もこんな顔して野球がやれたら」・・・高橋尚成

すんません。宴会部長としての姿しか記憶にありません(^^ゞ巨人時代は、確かに、それなりに実績もあったのは重々承知ですが、おもろい男だったとしか記憶にない・・・そう、いまだに「高橋尚成 尻」でググったりもして(→知恵袋参照)もう8年も経ってるんだよ。しかし「球界の紳士たれ」ってもう時代にそぐわないような気がするのですが。ただ、今の巨人若手を見ていると、インパクトが薄いというか、なんか個性がないというか(→外国人選手は別としても)

4月7日のマーリンズ戦が初登板で負け投手。

「マイナーからスタートしてメジャーになるには、普通じゃいけない」(五十嵐亮太)

地元ファンや評論家には「ヤンキースキラー」などと高い評価を得ているが。そうだ。ケツ出しの過去はもう忘れなきゃ。まだ来年ぐらいまでは使えそうな気がするな。ジーターを2打席連続で抑えたらしいし。なぜパワーヒッターを抑えることができるのか。ピッチングフォームに秘訣があるそうな。「肩の回転速度が遅く、普通のピッチャーの70%しか出ていないのに、手首の回転速度が速いので、球の速度をかせいでいる。ので、バッターが振り遅れる。曲がりながら落ちてゆくシンカーに特徴がある。ボールの回転数が多く、曲がりながらよく落ちる(毎秒24~25回転。普通は15回転)。ボールがなかなか来ない。バッターとしては追いかけて打たないといけないなど、かなり難しい

高校時代は真っ直ぐとスライダーしかなかったが、アドバイスを受けて開花した。

ええ、こんな器用なやつなのに・・・。一歩一歩努力した芯の強さを持っているのに「宴会部長」ってイメージが台無しにしているような気がする。案外選手寿命は長いと思う。

1円でもいいからちょっと読んでみたい。原稿用紙に直筆で書いたそうですし。図書館で借りてもいいしなぁ。仁志は解説者として見てみたい。頭いいですよ大久保なんかより。まったく、ちょっと長嶋さんに大事にされたからって巨人OBとして恥やな。あ、話がそれた。いかんいかん。

現役引退から1週間後にランカスターへ単身赴任。

子供のころ、父の指導は想像以上に厳しかった。野球自体を面白いと思ってたかどうか。苦痛を覚えた。楽しさとは無縁のものだった。高校で野球観が変わった。常総学院の木内監督て、もう79歳なんですね。久しぶりに見た。「小さいけれど丈夫なんだというのが第一印象。振り回さない。俺が俺がは高校で通用しないんだけど、その辺がしっかりしてた。あんないい中学生を見たのはひさしぶりだった。親御さんがいいから。あんな中学生はそれ以降入ってこない」「仁志は一流でなくちゃいけない。気を抜いたり、無意識にやっちゃいけない選手なの。だから間違ったらバチンなの。学校から推薦もらって大学行く子はドンマイドンマイなの。それぐらいしかない選手なの」

春にベイスターズを辞めたいと木内監督に相談に来て、ひどく怒られたらしい。日本の野球を語るんだったらアメリカに行かないと。ベースボールを覚えるにはアメリカしかない、と教えたそうな。

「木内さんがいなければ今の自分はいない。親以上の存在。すべてのきっかけを作ってくれた」

仁志敏久って、近年の巨人選手では好きな部類なんだ。別にうちの坊主と誕生日が同じだからとか、そんな単純な理由だけじゃなくて、例えばズムサタで見せていた、的確にものが言えるところとか。ただの野球バカとは違うもんなぁどこか。きっと解説者として、結果論ではなく、ゲームの先がきちんと読めるのではないかなと。

2000年はよかったなぁ。昔はよかったなんて言いたくないが。確かに仁志にとってはピークだったろうな。その後どんどん目標を見失ったみたいだけど。

アメリカに行って、視野が広がった。遊ぶ意味の大切さ。球場ではいつもにこにこしていた。アメリカから見て、日本の野球は軍隊のように形式的なのだとか。少年野球、子供のころから大人に委縮してるような指導が多い。多すぎる。

次の夢は、子供たちに野球を教えること?自分から動いて自分のやりたいことを意志を持ってやりたい。

仁志や木内監督をぼんやり眺めながら、ひとは一生のうちに何度恩師に出会えるんかな、と思った。自分の人生を決定づけるひとに、どれだけ出会えるのか。

で、うちの坊主はあと何年野球をやるんかな。大人になって、今の野球漬けをどんなふうに振り返るんだろう。

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えとせとら

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