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2011.11.22

BS  時代を彩った女優達 ひとりを生きる大原麗子

早いもので、3回忌の法要が終わっていた。

降旗康男監督は、訃報を受けた時に「居酒屋兆治が頭をよぎった。

出番自体はちょっとしかなかったような

それだけ印象が強かったんだろうと。

薄幸な最後がそのまま大原麗子になっちゃったような気がして

大変なことをしてしまったような

映画を作る上では仕方なかったんだろうと思いながら

孤独をいきるさよを愛して演じていると言った。

映画を撮り終わった後も

小夜がなかなか抜けなかった。

父親は粗暴な人でした。

金の指輪をした拳で頭をたたかれました。

8歳の時に母親が家を出て行く時

置いていかないで お願いだから連れてってといいました。

置いていかれたら

私は殺されちゃうと思いました。 

そして母娘2人だけの生活。

やがて祖母の介護のために母親の実家へ戻ったが

母の姉は厳しい人で

全く反りが合わなかった。

中学生の頃には叔母と衝突を繰り返し

居場所を失って、ふらふらと六本木に繰り出すようになった。

六本木野獣会の結成。(記事「ニッポン大女優伝説」参照

とはいえひ弱な集団で(良家の子女が多かった)。

ビッチーと呼ばれかわいがられた。

いわゆる普通の女の子ではなかった。

金平糖のとんがった部分のように

そこが人々の心を打つ。

病気であったり涙であったり

(田辺靖雄)

6歳年上の女優渋沢詩子に懐き、彼女の部屋に住みついた。

本音と建前が苦手で

「なんで?そんな建前だけなんて

人間として生きていけない」と言っていた。

もっと楽に生きればいいのに、とおもっていた。(渋沢詩子)

母親から来た手紙には

学費を受け取りに来るように。交通事故に遭わぬよう

くれぐれも気を付けて わが身の周囲に細心の注意を払って

落ち着いて

市川昆 監督とは、役作りをめぐって2回ほどいいあいをしたのを

見たことがある。(石坂浩二)

木下恵介監督の「新喜びも悲しみも幾年月」

現実世界での大原麗子は

妻や母親から最も遠い世界に居た。

あなたの思った通り 感じた通りにやってください

私の仕事は配役した時点で終わっています、と

わたしにも大原さんにもおっしゃいました。(加藤剛)

かわいいこと 美しいことにこだわり続けるのに

それ以降主演のしごとは減って行った。

自信もなくしていった。

なぞとまではいかないけど

奥はまだまだ深かった。(平田満)

どの大原麗子が好きかと言われたら

映画もそうだけど

CMだったりバラエティだったり

最近もチャンネルNECOでやってた「雑居時代」

そういう役柄をもう一度見たかった。

晩年は

孤独に耐えきれず 時間を問わずあちこちに電話をかけていたらしい。

石井ふく子にも夜中の2時3時まで。

最後が暑いさなかに孤独死なんてなぁ。

そんなに幸せが似合わないのかねぇ。

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