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2013.02.18

ファミリーヒストリー 平岳大

カナダへ渡った曾祖父・池田福吉が体験した差別。
福吉は明治15年広島生まれ。
17歳の頃、ハワイへの出稼ぎ。ラハイナ。
10時間以上サトウキビを刈る労働。
25歳の時カナダ・バンクーバーへ移住。
当時のパウエルはリトルトーキョーのような状態。
肉屋と雑貨屋を営んでいたが、日系人は差別の憂き目に遭う。

日系人対象の下宿屋を営む。
90年後の現在も建物は現存。
当時は製材所を営む日本人労働者などが体を休める場所だった。

カナダ知的財産庁HPによれば仲間と下水装置の特許をとっていたらしい。
後に生まれた久代は岳大の祖母。
学校では36人中6位の成績。
14歳の頃母トキが肺結核に倒れ、1年後に亡くなる
久代は一人日本へ。昭和8年。

平文雄と久代は昭和8年に結婚。
幹二朗が生まれてまもなく文雄は腸チフスで死去。
福吉の弟の家で幹二朗は暮し、久代は郵便局に勤め始める。
原子爆弾投下。久代の生存はしばらく不明だったが
終戦後しばらくして母と息子は再会を果たす。
靴紐を結ぼうとかがんだとたん爆弾投下。
建物の影で命は助かったが、黒い雨に打たれたため
吐血や抜け毛に苦しみ動けなくなる。
回復したものの頭髪は全て抜け落ち、被爆者差別に苦しむ。
ようやく高校の事務員の仕事を見つける。
高校に生徒数の把握に来た進駐軍の通訳をしたのがきっかけで
代々木に住み込みのメイドとして働くように。
幹二朗は広島県立上下高校の演劇部。
母は働いたお金を息子に充てる。
高校卒業後俳優の道に進む。
久代54歳にしてようやく幹二朗と再び暮すことに。

37歳で佐久間良子と結婚。
双子の兄妹、岳大と朋子誕生。
※STAR 75年7月号より
Img285
平成2年、久代死去。
「寒い寒い冬が来た
今に氷も張るだろう
寒い冬
過ぎても冬よまた来いよ
私は冬が大好きよ・・・」←学生時代の詩。

男の人の母を思う気持ちが切々と伝わる表情。
泣くつもりじゃなかった、といいつつ涙する息子幹二朗。

佐久間良子の特集が昔の雑誌にあったので。
(出典は上記と同じSTAR7月号)
練馬一帯の大地主の令嬢。
東映の大泉撮影所の一部も佐久間家の土地だったと記述がある。
「家の一歩手前を出れば、私は女優です」
家族3人でこの映像を見ればよかったのに。
夫婦間にいろいろあったのか佐久間家の歴史に触れないまま。
平岳大は好きな俳優さんの一人だが
デビュー遅かったのね。
BSでやった伊丹十三役がよかったなぁ。
平幹二朗は舞台がメインかな今は。

追記(2013.7.6)土スタに出てたんで見た。
独身だったのね(←短冊に「40までに結婚できますように」)。
15歳で留学。日本人のいない学校を探した。
サラリーマンから俳優を志すも、母の反対に遭い毎日ケンカしていた。
テレビでスペイン語の充実度ときたら。昔の堅苦しさとはえらいちがい。

追記 2016.10.24 父幹二朗さんの訃報
関連記事 肝付兼太さんも平幹二朗さんも逝ってしまって思うこと

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