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2017.11.24

【感想つき】NHK 安室奈美恵インタビュー「告白」

追記 2018.9 あさイチのインタビューはこちら

■第1章

辛いこととか大変なこともあったけど、なんか幸せな25年。
歌手として素晴らしい出会いもして、
素晴らしい経験もさせてもらった25年だったんじゃないかって思います。

ミスターU.S.A  スーパーモンキーズ youtube

(ポップジャム司会の映像を見たあと)かなりフレッシュさは伝わってきた感じ
もうでも、ときめきばっかりでした。いつか私たちもこういうふうに
ワーとかキャーとか言われてみたいねえ、とか。そういうことしか。
愛してマスカット youtube
CM ロッテマスカットガム youtube

デビューしたらすぐ曲はヒットすると思っていたので(笑)
ヒットしない、まだ最初だからかな~、2作目、3作目とヒットが出てくれないので
なんかこう、焦りと、なんでだろう、って、ずっと、なんでだろう...なんでだろう...て
思ったときに、私がセンターで、メインボーカルを歌わせていただいていたので
私がセンターでメインボーカルしてるから、ヒット曲が出ないんだろうな、と
14歳15歳なりに出した結論というか、一生懸命考えた結論なので
その時はやめさせてくださいって、当時事務所に所属してて、社長さんにはお話を
したことはすごい覚えてる。

「TRY ME~私を信じて」

「あれ?私たちの曲、ランキングがどんどん上がってる!」
毎週毎週ランキング番組をみんなで見てた
「また今週も上がってたね~、ウソでしょ~!」みたいな
小室さんとのお仕事はとにかくプレッシャーの連続だったので
既に小室さんプロデュースのアーティストの方がたくさんヒット曲を出していたので
次のシングルの時に書いてくださるというお話のとき、わぁ嬉しいと
本当に思ったんですけど、小室さんが書いた曲を私が歌って
それがほかのアーティストの皆さんみたいに売れなかったらどうするんだろと思って
やばいどうしよう、責任すごい重大なんだけど
ちょっとプレッシャー、ハンパなかったですね
小室さんの野外イベントの時も「BODY FEELS EXIT」
初お披露目だったと思うんですけど、私だけリリースまだしてなくて
イベントに出させてもらっていたので、かなりアウエー感はあったんですけど
とにかく長い花道を一生懸命走って、歌詞も覚えたてだし
間違えないようにしなきゃいけないし、緊張とプレッシャーばっかりでした。

デビュー当時は踊ることが好きでした。歌よりも。
センターというプレッシャーから逃げたかったのか(笑)
私はダンサーになりたいと思ってた時期もあったし、仕事もしてく中で
歌いながら踊るってやっぱりすごく楽しいことなんだって思い始めて。

なんで...なんでアム「ラー」なのか、いまいちよくわかんなかったです。
なんか自分のことじゃない感じ。名前だけがひとり歩きして。
うーん、不思議な感じでした。

初めてヒット曲も出たり、単独コンサートができたり、とにかく幸せいっぱいでした。
(順風満帆、無敵ですねと聞かれ)表面だけ見ると、たぶんそうだと思います。

(結婚、妊娠、出産は)なにか大きな決断ではなくて
ほんとに好きな人がいて、子供を授かった嬉しさしかなかった。
決断という感じではなかったですね。
(紅白復帰のVTRを見ながら)もらい泣きしちゃう
ティッシュいただけますか?自分で自分を見て泣くっておかしくないですか?
歌って後半前に行くときに「おかえり」「ありがとうございます」拍手いただいて
すごい暖かく迎えてくださって、嬉しかったのを覚えてます。
そんなに迎えてくださるとは思ってなかった。
普通に「あ、帰ってきたんだな、この子」って...なるんだろうなと
暖かく迎えてくれたらいいなとは思ってたけど、会場の空気感も柔らかく
戻ってきてもいいんだって思った瞬間、ワーって。

■第2章(2000年~

Never End を最後に、翌年から小室哲哉プロデュースでなくなる

不安でしたね。最初はちょっとどうするんだろと思ってたら
私を担当してるレコード会社の方が「自分で自分をプロデュースしなよ」
そこで言われて「え?」と思って。どういうこと?って
そっからですよね。衣装どうする?ヘアメイクどうする?
どんなジャケ写撮りたいの?
今までは小室さんがこうだからこういうジャケ写にしてこういうPV撮ってほしい、
コンサートの時もこういう演出にして欲しいという指示があってやっていくもので
それを全部自分でやらなきゃいけない、
正解もなければ間違いもないみたいな感じだったので
ファンの皆さんが反応してくれるレスポンスがすごい大事なのかなって思って
あまりピンと来ない曲はコンサートでもあまり反応ないし(笑)
そうか、こんな楽曲みんなは望んでないのかって。手探りでした。

Say the word youtube
息子もいましたので、この子のために何ができるかと、
当時思ったことを言葉にして書きました。
歌手の安室奈美恵っていうのがわからなくなった時期があったので
どういうふうに脱出していいのかも、誰も教えてくださらないし
誰にも相談できなかったので、落ち込むばかりでしたね。「あー...」って
そうか何がダメだったんだろうって、考えつくことはやってみたり
でもしっくりハマるものがわからなかったので
思い切ってその時は、安室奈美恵を1回置いて、
安室奈美恵じゃないところで楽曲を出してみたいんですけどと提案させてもらって。
ものすごく楽しくてすごい達成感があった。
なんで今までこれを忘れてたんだろう、
あまりにも、こうしなきゃいけない、ああしなきゃいけないんじゃないかと
考えすぎてしまってとにかく楽しむことをだんだんだんだん忘れてた
もっと自分が好きなことは好きだって、胸張って楽しまないといいものは作れない

安室奈美恵名義になった時に、今の自分を楽しんで
いいと思うことを胸張って堂々とやれば良いと思って
そこからはスパスパって決まっていった。
いや、開けに行ったドアは、ことごとくハズレだったんですよ
楽しむことを忘れてたって気づいたとき
「ドアはここです」って目の前に現れて、それをスーッと鍵なしで開けた感じ
で、次のステージに行けた。
あまり器用な感じじゃないので、目の前にある単純なことを
分厚い高い壁にしてしまう。なんか、難儀な性格だな~って思いながら

※テレビに出なくなった理由
何か面白いことを言わなきゃいけないんじゃないかとか
面白いことをしなきゃいけないんじゃないかっていう、
それがちょっとだんだん苦しくなってきて
テレビの仕事よりもコンサートっていう場所で生の私を見てもらって
「こんな私でよければ好きになっていただけませんか?」と
私の表現場所にちょっとずつシフトチェンジしていった。
ひとりでしゃべるってすごい難しいなと
大阪だったらなにか大阪のこと、何食べたとかこういうところに行くって言うの
全部自分で調べるのを毎年やるのがすごく大変じゃないですか
だんだんなくなってっちゃう。自分の日常を話すにしても
たとえば20公演あって、自分のネタが20個もない、って思って(笑)
MCを全部抜いたコンサートを作らせてくださいって
2時間のコンサートがきれいにショーとして収まってくれたので
あ、無理して喋らなくてもいいんじゃないかって思いはじめたら
コンサート作るのすごい楽しくなって
MCはもういらないねって感じになっていった。


※小田さんも「今日は1日 小田和正三昧」で

NHKで生さだやってんじゃない。1曲2曲やってはがき読んで
よくもつなあって。MCはダメですね。一生懸命考えていくんだけどうまくゆかない。
オフコースの時はしゃべんなかったからよかったね。

って言ってるし、安室ちゃんと誕生日同じだし。
同じ2017.11.23にFMと地上波で特集やったし。

経験することはいちばん未来につながるものだし
そこでしか学べないことがやっぱり多いので
どの時間も決して無駄ではなかった。

■こぼれ話 子育て
秀島:お弁当なんかも安室さん作ってらしたんですね
安室:はい、作ってました
秀島:毎朝早起きして、タコさんウインナーとか、卵焼きとか
安室:そうですね、毎朝やってました。
でもすごくラッキーなことに、まだキャラ弁がこんなにも浸透してない時だったので
ちっちゃいおにぎりをサッカーボールにして、のりを巻くぐらいでよかったんですよ
そのあとにキャラ弁が流行って、もうお弁当を卒業していたので
ホントにすごい胸をなでおろしました。よかったあ、って。
■第3章 引退 40歳を選んだ理由

理由はすごくいろいろありすぎて深すぎて
たまたま40歳、25歳がすごく重なっていた。
歌を歌う自分自身にピリオドを打つにはいい節目の年なんじゃないかと思いました。

自分の頭の中に「引退」の文字がちらついたのは20代後半。
手探りでやってていろいろ悩んで、相談もできないことが一番の大きな悩み
引退の文字がちらついた時ですら、誰かに相談とか言うこともできず
どうしようかと思ってたら、ふとデビュー当時を思い出し。
自分でもわからないんですけど
デビューが決まりました、すごく嬉しい、でも嬉しい時に
一生続けていく仕事じゃないなと思ってしまって
始まりがあれば終わりがある。デビューがあれば絶対的に引退が来ると。
デビューしたらすぐ有名人になれると当時は思っていたので
目標もかなり大きく
「引退する時は絶対絶対大きなコンサート会場で引退コンサートするんだ」
大きな夢ばっかりだったのをふと思い出したんですよね。
引退の文字を自分にちらつかせて、負けちゃいけないし
その時の夢を思い出した瞬間に、まだ引退できない、
必死な顔をしてもがけばいいじゃん、と思って
アルバム作り始めたりして。単純に楽しんで楽しみ尽くすことをやってみようかなと。
リアルに引退が目の前に来たのは20周年の時。
これはもう今がそういう時期なのかもしれないと思って
マネージャーさんにも「ドームツアーが終わったら」お話をさせていただいて
21年目、22年目は考えさせてくださいと事前にしていたので
自分の考えを精査する時間、本当に引退するのか
いや、歌って踊ってをまだやるのか、そこは自分に問いかける1年にしようと。

最終的に20周年が終わってから引退することができなかったので
その時はすべてやり尽くししていたので
引退できないと知った時に、ああ、どうすればいいんだろうって
燃え尽きてしまっていたので、次に何をするとはしばらく考えられずに
私がこんなだったら絶対ファンの人達が悲しむから
自分が今まで以上にワクワク、ドキドキするにはどうしたらいいんだろうと考えて
引退を25周年に定めようと思った
次の5年をどうするのか、
大きなコンサート会場で引退する夢は叶えられないかもしれないと思って。
20周年も奇跡だと思ったのに、それなのに5年後にできるなんてありえないと。
コンサートで楽しんでもらう5年間に集中しよう
みんない喜んでもらえるアルバムを作って、コンサートを作って。

「今まで応援してくれてありがとう」を25周年でやってしまうと
しんみりしてしまって泣いてできないと思ったので
そこは自分だけのツアーのテーマで。
みんなでこのツアーを楽しみ切るっていう、笑って終われるコンサートに
したかった。

自分が精神的に追い詰められて悲しかったときのツアーの初日
ステージに立ったら、ファンの皆さんのあたたかさが一気にくる瞬間があって
鳥肌が立った。
私はSNSとかで自分を発信することがないので
何も言わない私に対して
「あたしたちここにいるから、あなたはこのステージを楽しみなさい」みたいなのを
感じたことがあって
この人たちが一瞬でも楽しかったと思えるような
瞬間を作った。自分は幸せ者だなと。

感情の入れ方、存在の大きさは、やっぱり息子がいたから感じられるものだった
今の私の物の考え方、見方は息子の存在があるからこそ。
あの時出産してなかったら全然違う安室奈美恵がここに座ってるのではないか。
年を重ねるにつれ守らなきゃいけないものが増えたし
大切なものの大きさも偉大さも実感してはいるので。

ただなんか最近はそれもなくなりつつある
親離れが進んで、私の子離れが全く出来てないので
「おめえうぜえよ」みたいな感じの毎日です(笑)

追記
2017.12.17放送 BS日テレ 安室奈美恵独占密着(後に地上波でも放送)
こっちのほうが好き。NHKと同じこと言ってるようだけどちょっと違う
「歌は誰の指示でもない、もともと踊るのが大好きな子だったんですよ」

天才たけしでの空手披露動画、引退発表の日にツイッターで流れてきたっけ。

ちゃんと自分の未来を想像できるようになったのはソロでできるようになってから
グループだと出来ない。

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えとせとら

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