落語

2015.11.29

【抜粋】ボクらの時代 塙宣之×春風亭一之輔×真島昌利 気遣いも説明もいらない

真島:(トーク番組は)なんか恥ずかしくて
塙:今まで断ってた感じ?
真島:断ってたりもするし。今日はね、なんかメンツ見て
   「あぁ、会いたいな」と思ってきたの。
一之輔:ロックンローラーぽくないというか、もっとなんか
塙:とげとげしいでしょ
真島:・・すんません。ご期待に添えなくて(笑)
一之輔:ナイツさんの漫才
真島:大好きですよ。ボケとツッコミが変わるの。ありゃあ面白い。
塙:僕は面白いと思うんですけど、相方がやりたがらないんですよ
一之輔:ナイツさんの漫才って、何か落語的なところありますよね。
真島:ものをできないところとか。知ったかぶりして。
塙:彼(真島さん)は?
一之輔:僕のお客さんです。よく来てくれる。独演会とか
真島:一回ね、師匠の落語を聞いたあとに、師匠を囲んで
   みんなで新鮮なマグロを食べようって会があったんです。
   今みたいに面識のない頃に。いちファンとして見に行ってた頃。
   ふるって応募したんです(笑)

一之輔:個人で「真島昌利」っていう予約の名前が書いてあって
塙:昔から好きなんですか?落語
真島:ここ3~4年ぐらいですかね
一之輔:だって最前列の一番真ん中に座ってることがある。
真島:(柳家)小ゑんさんがネタの時にCDみたいなの見せて
    「ほら、こいつクロマニヨンズのCDもある」っていじってくれて
    「やった!今クロマニヨンズって言ってくれた!」(爆笑)
塙:真打は21人抜き?それ気まずくないですか?
一之輔:気まずいだろうなと思ってたんですよ。決まった時は。
     やべえぞ。なんかいじめられるぞと思うじゃないですか。
     先輩はみんないい人だったんですよ。もう20何人抜きとか・・
     だって何年のM-1王者とか言われないでしょ?

塙:そう言われるの超嬉しいですけど、獲ってないですよ
一之輔:獲ってないの?
真島:よくテレビとか見てると、皆さん面白エピソードとか
    ダウンダウンDXとかで。
    「この人そんな面白いことが毎日いっぱい起こってるんだ」って思ってます
一之輔:噺家って絶対あんなとこで何もできない。
     ただのでくのぼうになるしかない。
塙:ひな壇の難しいところって、僕の理論なんですけど運動神経と似てて
  こういう静かなところで座ってたりすると、ここしか動くところがないじゃないですか。
  ひな壇て、まず声のデカさと、人がこうやってく時の(バネみたいにボーンと前に出る)
  動きとか必要じゃないですか。俺そういうの嫌なんですよね。
一之輔:前に出ていくのが嫌なんですか
塙:嫌なのもあるし、サッカーとかと一緒で
  みんなでパスして次受け取ってゴールみたいな流れがあるじゃないですか
  それ俺運動神経もないし、やりたくないってのとふたつあるから。
  自分でなんかわけわかんないスポーツ一人でやりたくなっちゃうんで
  すげえ気持ち悪いんですよ。みんなで同じ方向に向かって・・

一之輔:でも出されるわけでしょそこに?
塙: そう。出なきゃいいんですけどやっぱり出たいんで(爆笑)
一之輔:いろんなしがらみがありまさぁね
塙:凹むこととかあるんですか?
真島:まぁしょっちゅう、ギター間違えたりするんですけど、まっいいかな・・
    しょっちゅう間違えてんですけど、しょうがないし(笑)
    間違えちゃったんだから。でも次は間違えないようにしようと思いますよ。
    でもそうやってやってても頭真っ白になっちゃってバーンと飛んだり。

塙:なんかボケにくいんですよ今の世の中って。
  「バカ」とか「うるせーよ」ってツッコミだけでいいのに
  「この子はこういう子なんですよ」とか。

真島:説明過剰な感じなんですか?
塙:そうそうそう
真島:そんなやさしく説明しなくていいよ、わかんない奴は分かんないでいいじゃん

一之輔:そうじゃないと笑ってくれないてのもあるんでしょうね
     それに慣れちゃってるから。
塙:一之輔師匠はあまり説明しない。どっちかって言うと無駄な説明なく
一之輔:なるべくそうしたいんですよ
     ただ落語って、学生さんとか中学生とかだとどこで笑っていいの?っていう
     人もいると思うんですよ。昔の名人の落語を聴かせると。
     そのエッセンスをどう伝えるか腐心しますよね 
真島:お客さんの雰囲気見て「ちょっとくさくやったほうがいいかな」とか
    考えたりします?
一之輔:しますします。お客さんに合わせて。
塙:「きょうお客さん重いよ」「軽いよ」あります?
真島:はい。
塙:それって最近あるのかなとか考えて
  「もしかしたらこっちが重くなってるだけなんじゃないかな」と。
  偉い人が来て名刺渡されて「この日を楽しみに来ました」と言われると
  なんかボケにくくなっちゃう。所詮、人の悪口とか言わなきゃいけないのに
  笑わせる精神状態が、いろんな事を言う事で重くなっちゃう

  わけわかんないこと言うだけでいいのに
  すごい嫌なんです館長の挨拶とか。適当にやってるのに
  
 
塙:妻が昔バンドやってて、すごいファンなんです。真島さんの
  きょう見に来る予定だったのに、病院行っちゃって。
真島:病院?
塙:病気とかそんなんじゃなく、ただ普通に病院行って
真島:よろしくお伝えください(笑)
一之輔:塙さんは、奥さんと子供・・
塙:去年女の子が生まれまして
一之輔:よく話ししますもんね。僕はまくらで
     奥さんとか子供の話する芸人大ッ嫌いだったんですけど(笑)
     まず子供の話してから・・
     勉強になりますよ子供見てると。ふてくされた目とか怒られた顔とか
     「俺は悪くねえんだけどとりあえず謝ってるんだ」って表情。
     家じゃやらないけどお楽しみ会で落語やってんですよ
塙:面白い子にはなって欲しい
一之輔:おかずクラブみたいな?
塙:オカリナみたいになってもらいたいですね(笑)
一之輔:どう育てるとああなるんでしょうね
塙:親の教育があるんじゃないですか
  うちは兄弟をチャップリン教育みたいに育てて
  だから二人共芸人になったんじゃないかな。うちは厳しくて
  ファミコン買ってもらえなかったんですよ。
  次男(はなわ)は昔から曲作ってて「ファミコン買って」って曲を作った。
  親が感動してファミコン買ってくれた。

※塙さんは30歳で結婚し娘一人。一之輔師匠は26歳で結婚し3児の父。

真島:僕子供の頃うちで見れる音楽番組が、NHKの「ふるさとの歌祭り」(笑)
    初めて作った曲は、中学3年生ぐらいかな、英語の曲で
    スカした曲だった。今聴くと恥ずかしくて死にたくなる。
    タイトルが「Call on Me」(笑)

一之輔:そのテープはどっか・・
真島:実家にあるかなあ・・
塙:親が売りに行ったりしたんじゃ
真島:こんだ実家に行ったら探して燃やそ。

※塙さんが子供の頃見たダウンタウンのクイズ番組ってなんだろ
TBSのクイズ王のやつかな。ボタン押してはボケるやつでしょ?
「舛添さんの子供の頃のあだ名は?」「ハゲ!!」ってやつかなあ
多分違うな。東京進出とか言ってた時のだろうけど。
あれ見て芸人になろうと思ったのか(違)
一之輔師匠は付き人つけないで、ギャラ交渉も自分でやる。

甲本ヒロトさんのバンドも同時期に解散して
一緒にやろうと言ったのが「ザ・ブルーハーツ」の始まり。
いざ始めたら嗜好が似ていたが、最近違うことに気がついた。
そこは尊重し合う。良かったと思うこともコイツ鬱陶しいなと思うこともあるとか。
曲が浮かぶのは散歩中か、寝る前の半覚醒状態の時。
売れた時に怖くなって神経衰弱状態に陥ったことも。
  

 

2014.10.08

徹子の部屋  桂歌丸

ご自分のお部屋が3階なんですって?
もう這って上がるような・・・
あの~声は出るんですよ。正座してれば。
立ってることと、歩くことが辛い。特に歩くことがまだまだ。
いろんな病気がいっぺんに出ちゃったものですから。

今年の春にご病気をなさったですね。
そのことはちょっと、落語の枕でお話をなさって。
笑点復帰SP 動画

(ワイドスクランブル放送分)

お運びをいただきまして誠にありがとうございます。
まさか、せきひとつで2ヶ月近い入院をさせられようとは思いませんでした。
咳をした途端に肋骨にヒビが入り
それが元で肺気腫になり 肺炎を患い
その間にありとあらゆる数値がどんどん上がり
低血圧が高血圧になり
どうにもこうにもしょうがない。
そのうちに下半身にむくみが出まして、8日間で7キロ目方が増えたんですね。
太ったことのない人間ですから
太ったなぁと喜んでおりましたら、太ったんじゃなくてむくんだんだと。
そういう治療も全部して、どうやら克服したなと思っておりましたら
一番最後に帯状疱疹。腰から左の足の内側にかけましてくるぶしまで
花が咲いたように痛いのなんの。
これもどうやら治りかかってきているようでございますが
まだ本格的ではございませんで。
一番本格的なことが、歩くことができない。
そこにお金が落ちてても、拾うことができません。
ちょっと体を動かすと、息切れがしてどうしようもない。
酸素でございますが、うちにいても離せませんで。
歩くことも出来ませんで。お客様方もこれから
くしゃみをしたり咳をしたりしても十分お気をつけていただきたい
・・・

噺家ですからなんでも金儲けのネタにするんですよ。
行ったことはホントなんですよね。
でもね、病気やって帰ってきたときは引退しようと思って。
かみさんに「もう引退してもいいか」って言ったんですよね。
「苦しいし歩けないし」って言ったら
「お父さん、それでも構わない。ただし何するの?」って言われた。
「つまんないじゃない。お父さん寄席や何かでちゃんとしゃべれるんだから」
それもそうだなって。引退取り消すって。
釣りがもう大趣味だった。
ただし独演会は今年で全部やめさしてもらいました。
エレベーターも何もないところがあるんですよ。
誰かにおぶさってもらえるわけじゃないし。
病院てのは陰気になるんですよ。でもひとつだけ明るいこと。
一人だけすごく明るい看護師さんがいたんですよ。すごく助かりました。
採血の時「行きますよ」「覚悟してますからどうぞ」「せえの!!ブスッ!」
あたしゃ注射打たれてあんな笑ったの初めてですよ。
あの看護婦さんのおかげでうんと助かった。




6月25日放送の「ワイド!スクランブル」見逃したので
今日見れて良かった。
野村胡堂の「銭形平次」をとても参考にしているとか。
マイファースト笑点って
三波伸介が司会で、小圓遊、圓窓が出てた頃なんすよ。
死んじゃったり弱ったり年取ったりガタがきたりだなぁ。


2014.06.22

ボクらの時代 柳家喬太郎×柳亭市馬×桂米團治 高座にかけない裏噺

どう見ても柳家喬太郎が一番歳上に見えるが、
実際は3人の中で一番年下。
(50歳。柳亭市馬は52歳。年上は桂米團治:55歳)
柳亭市馬の落語を昨年聴きに行った。記事参照
喬太郎:俺が一番年上なん
市馬:しかも米朝師匠のご長男
米團治:ねぇ~御曹司と言われながらも馬鹿にされてますよね。
     僕たちも(林家)正蔵さんを馬鹿にしてませんか?
市馬 :なぜここに正蔵さんの名前が出るの?
米團治:いやいや、落語協会員として
喬太郎:三平はちょっとしてるかもしれませんよ。んなことないですよ。
     木久蔵もちょっとしてるかもしれない。
米團治:逆に僕はお二人のように、噺家の家じゃないけれども
     ずっと積み上げてこられて落ち着きのある居住いが綺麗なので
     お二人に憧れてました。だから今日楽しみにしてました。
喬太郎:大先輩にそんなこと言われたら穴があったら入りたい
市馬:(掘りごたつを指して)あるよ

出会い、落語界のイケメン
市馬:アタシは覚えてますよ
米團治:え?30年前に会ってた?
市馬:あたしゃ、いい男ってのはこういう人のことを・・
    これホントですよ。
    あっら~やっぱり大阪の人は違うな
喬太郎:噺家も最近イケメンとかってね
市馬:基準がわからない
米團治:来年の上方落語協会のカレンダー。
     毎年三枝改め文枝会長がどんなカレンダーで行こうって
     考えるんです。毎年この時期に。
     来年はイケメン噺家を載せるってんで、女流噺家たちが集まって
     講評を加えだした
     独身部門の1位が、ざこばさんのお弟子さんのあおば君。
     黙ってたらすごいかっこいい。既婚者部門は私・・(笑)
     お二人は、親御さんって?
市馬:あたしゃ、親が馬じゃない。一応人間なんです(笑)
    ボケもせずまだ達者でおります。
米團治:噺家とは違う世界の親御さんだから、着実に前座から積み上げて
     完成された時にスポットライトが当たるじゃない?
     でもあたしは、入門して2ヶ月目にフラッシュ浴びたんです。
     初舞台で写真とか撮られる。冷や汗タラタラ流れる。
     全然できない。で「このサラブレッドは足が折れてる」
市馬 :大変そうやけど、そうは見えないところがすごい。
米團治:なんや阿呆と同じに・・何も考えてなかったみたいに(笑)
市馬: 米朝師匠の稽古ってどんな稽古ですか?
米團治:うちの稽古?覚えが悪いと 「なんんで同じこと言わすんや!」 
     キセルをコツーンと叩くのがパコーン音がして
     殴られるのがまだマシみたいな・・厳しかったですね。小さん師匠は?
市馬:稽古つけません。勝手に覚えろって。
米團治 :え?1回もなし?
市馬:1回も。あたしは剣道をやってたもので。
    あたしの剣道の先生、その先生の先生が小さんのお友達で
    師匠に会う前に弟子入りが決まってた。
    師匠はその頃もう忙しく「おい、稽古するぞ!」って言うから
    こっちは「いよいよ稽古してくれるんだ」って
    1枚だけ持ってた、おふくろが縫った浴衣。帯も締めらんない
    なんとかカッコつけて締めて待ってたら師匠が
    竹刀一生懸命振って
     「いつまでそんなうすみっともねえ格好してんだ!
    俺が剣道と言ったら剣道の稽古だ!」
    2時間ぐらい剣道の稽古・・
>●収入、弟子、結婚事情
喬太郎:下世話ですけど、いつ頃から食える感じに?
市馬:10年・・7,8年ぐらい・・
    一席やっていくら、何分やっていくらって東京は決まってないから。
米團治:東京は単価ないってホンマ?僕らよく聞くから。
     高い人は高いんだ。喬太郎さん安いの?
喬太郎:いろんなお仕事がありますよ。
米團治:単価何十万てのもあるし、何千万ってのもあるから
     同じことやってても差はあるし。
     芸人で不思議なのは稼げたら稼ぐほど使う方も出て行きますよね。
喬太郎:上が下にご馳走する世界ですしね。
     市馬さん、お弟子さん何人いてるの?
市馬:5人。
米團治:うちは3人居てるんですけど、オヤジがずーっとやってきてて
     「子供育てるんやで」言ってましたから。
     高校卒業したぐらいの子供が
     ある日ウチにやってきたと思いなさいと。
喬太郎:うちは取ってない。
米團治:なんでとってないの?
喬太郎:ずっと前に取る方向で思ったことあったんですけど
      カミさんにも言って、その子とも会う感じで。
      でも直前にとある会に出演して、自分で思うところがあって
      臨んで終わってからものすごく考え込んでしまって。
      「こんな精神状態じゃ取れない」とお断りしました。
      その子には全部正直に話しました。悪いことしました。
市馬:勝手に向こうから来るんだから。気持ちもわかるけど
    あんまり真面目に考えてたら。あいつらねぇはぐらかすからね。
    こっちの期待とか思いとか考えちゃいるんだろうけど。
    (5人のうち何人?)全員ですw教えるとか導くのは一切ない。
    あたしを見ててそうしたけりゃすればいい。
米團治:教えることは教わることだからね。

     「お前なんでこんなことができへんねん」見たら
     俺がそうやってた。俺がやってんのは教えたらわかる。
     いちばんしんどかったんはうちの母親ですよね。
     好き嫌いのある子の晩御飯もし・・独身でしょ?
市馬:そらわけがあってね(爆笑)語るも涙
    大した理由もなく。そういうことが理由なら分かりいいんだけど
米團治:性の不一致?
市馬:一致してないね。
米團治 :どうしてみんなこの話したら扇子で扇ぎだす?
      喬太郎さんとこは?
喬太郎:継続中。せがれがひとりいて今年成人式。
市馬 :二人とも似たところはあるんだけど、危険な香りがしないでしょ。
米團治:僕はマジになる。遊べない。むしろ惚れてしまう。
     一夫一婦制に問題があるんですよ。噺家って廓噺するでしょ。
     家帰ったら一夫一婦制守らなあかん。不倫や浮気やいう。
     おかしい思いません?平安時代まで行きましょか?
     光源氏紫式部ですよ。あの時代に女流作家が男の女遍歴描いて。
     それがありながらどうして一夫一婦制なの?
     かつて月亭可朝さんが一夫多妻制にするゆうて見事落選。
     日本が今そういう気分になっててちょっと怖い。
     「遊びをせんとや生まれけん」後白河法皇が梁塵秘抄を・・
     遊びを生活の原点として、
     我々落語家は最先端を行かねばならん職種なんですよ。
     父が舞台で
     「不倫いう言葉はおかしい思うんですよ。ちょっと前まで
     自分の子供や姉妹とおかしい仲になることを
     道に外れるいうて不倫と言うとった。人の嫁さんぐらい
     不倫でもなんでもおまへんのや」
     僕国宝剥奪されるのかと思った。

喬太郎:怖くないカミさんなんか世の中に・・
     ここホントにカットして下さいよ。
米團治 :うちも怖いよ。ただいまの代わりに「ごめんな」言うて帰る。
      人生いつも芝居。「フィガロの結婚」の最後が
      許せ妻よ~許せ許せ♬過ちは誰にもあるもの♫タラタラ♫
喬太郎:聞いてるか皆(笑)
米團治:人間愛の究極は許し
  

追記:2017.2.21
徹子の部屋に柳家喬太郎出演。
春風亭昇太(4歳年上)からメッセージが届く
「非常に繊細な古典落語ができ、創作能力も高い。バランスの取れた噺家。
 柳家喬太郎を知らなければ落語ファンではない。レジの前に出ると後輩らしくなる。」
昇太さんは子分肌。見た目も感性も若いと喬太郎さん。
「お母さんお腹すいた!味が薄い!」というと昇太師匠が「うるさい!」
どこに出しても恥ずかしくない独身。

高校時代帰り道に「一人徹子の部屋」をやっていたそう。
書店員から落語家に。

2013.11.18

【メモ】nhkファミリーヒストリー 桂文枝


私が生後11か月の時に父が亡くなった。それだけしか聞いていません。
どこでどう生まれたのかわかりません。

母は父の死後、父方のほうを出ましてね。
その後一切行き来がなかったものですから。

大正10年生まれの母が、今記憶がまだらで分からなくなっているような状態。

戦後、母は息子に父のことを話したがらなかった。
師匠の手元には葬儀の際の写真1枚だけ。

●父方のルーツ
戦国時代から岐阜県本巣市に暮らしてきた河村家。
善永寺には
1570年、11代前の祖先・五良作が石山合戦の時にもらった
褒美の鐘がある。(石山合戦:信長と本願寺の戦い)
明治7年、文枝の祖父静衛誕生。
←※文枝の本名「静也」は一字いただいて命名された。
祖父の遺品には金鵄(きんし)勲章が。日露戦争で陸軍に召集され

奉天会戦へ。本隊より先に相手のテリトリーに入り情報を仕入れる役目。
金鵄勲章の年金は当時の金で100円。公務員の給料2カ月分を
生涯にわたり支給された。やがて薬の卸問屋を開く。
●大正5年、文枝の父清三誕生。
清三は大阪大倉商業学校へ進学。
成績が悪い者は放校、転校させられる。入学時2クラス→1クラス。
父は優秀な成績。卒業後野村銀行天六支店へ。
(←現在の野村証券は、証券部が独立してできた会社)

落語や漫才が好きで、職場で披露していた。

「ものすごい優しい人。会ったことがないほど。
神戸屋のパフェとか食べさしてくれた。優しさが顔に現れてましたな」

●昭和16年、25歳で縁談。
母が家柄の違いから一旦縁談を断るも、直接会えば気に入るはずと会わせる。
治子(17歳)両親を亡くし叔父の家に引き取られるがわがままを言わず。
結婚が決まる。清三は酒が飲めなかったので甘味屋でデートした。
善哉が好きだった。
清三25歳、治子20歳で結婚。
清三は20歳のころ徴兵検査を受けているが、視力が極端に弱かったので
免れている。
●昭和18年7月16日、静也(文枝)誕生
※築80年の長屋が戦災を免れ、今も残っていることに驚いた。八畳二間。
戦争が激しくなったため、病弱な者や年輩者も戦地へ。
清三の病名は肺浸濡(軽度の肺結核)。
半年後快方に向かったのもつかの間、召集令状が。
「行ってくるよ」
・熊本市には従兄の妻が暮らす。玄関前での出征時の写真を保管。
めいの清子さんはこの場に居合わせている。

ただ一つの一枚の写真なんですね。
父の心中・・なんか苦笑いしているように見えますけど。残酷なもんですな。

●大阪陸軍歩兵第92連隊に配属(昭和19年3月急きょ編成)
真田山で過酷な訓練。
入隊1カ月後に重い結核で倒れ、大阪陸軍病院に入院。
(現在の大手前病院)容体は日に日に悪化。
「ぜんざいが食べたいんだ」

わがままを言うような人ではないが、この病院で死ぬのではないかと。
(家族で)必死に探してきて、お砂糖と都合してぜんざい炊いて。
水筒に入れて、持ち込んだ。
「おいしかったよ、ありがとう」
入院から2カ月後、27歳で亡くなる。

清三の母「あなたはまだ若い。別の人生がまだある。静也はうちで育てます」
翌日黙って家を出た。

・・言葉のあや、というか。「子どもをとられる」と思ったんかも。
大正区で賄いの仕事を見つけたが、
火事の延焼で思い出のすべてが燃える。
小学生の静也を兄に預け、別の仕事に就く。
週に1度しか母と息子は会えなかった。
●昭和37年・文枝、関西大学商学部へ進学。
建設現場の食堂で働いて工面した学費。
落語家の夢をいったんは猛反対した母。
昭和42年デビュー。

昭和55年、治子は一人で善永寺を訪ねる。
「息子は一人前になったから、先祖のお墓に報告したい」
だが夫の墓はなかったため建立。
「先祖より大きいものは建てないで」

天皇陛下にお会いしても失礼のないように
母が言った言葉は平成19年の園遊会で現実に。


真田山の陸軍墓地の納骨堂。身元調査は3年前に始まったが
思いがけず父の遺骨が見つかった。


僕の体の中にちゃんと父が生きてるような気がします
これから共に生きていく。



※11月15日放送分。次の放送は12月6日の真矢みきまでないらしいし、
再放送まで日にちがあるので記録として書き残す。



2013.11.02

爆報! 田原俊彦の親友・4代目桂三木助の自殺。

生きていれば56歳。
好きだったんだけどなあ。ワタシの誕生日の前日に自殺しちゃった。
本名は4代目柳家小さんと同じ「小林盛夫」

・この家に生まれてきた呪縛、鬱状態。

父は3代目三木助。26人抜き、8年で真打ちに。
タレントとしても活躍。月収はMAX2000万円。
「三木助の壁があったんだけど、それが破れずにプレッシャーになった」
(6代目圓楽・当時は楽太郎)
「5歳のころから世話していましたから・・・かわいそうで」
(林家木久扇・当時は木久蔵)
「すごく目がまっすぐでね、好奇心をいつも持ってて。
時はバブルですから。六本木でよく遊んだし悪いことも教わったし。
女の子とも一緒によく遊んだ。
一緒に居る時はかわいい先輩。落語家にしかわからないプレッシャーが
若くしてあったのかな・・」(田原俊彦)

姉茂子さんは生前マネージャーをしている。
自殺から12年経った今も部屋は当時のまま。

父は58歳で亡くなる。
「私も弟も父親を神格化していることは確かです。」
77年、姉は父の跡継ぎを作るため、政略結婚を勧められる。
式の2日前に弟が落語家になる事を決意した。

20歳で落語の世界に入るも、着物ではなくイタリアンファッション。
高級外車で寄席に通い、夜はディスコ通い。
落語をおしゃれな商売にした。

・・・動画がUPされてないけど、テレビで見ると昇太師匠に似てるかも。

85年、28歳で4代目三木助に。
「落語も芝居も中途半端」「父親がすごいから売れただけ」
バッシングに遭う。

談志師匠は三木助さんにぼろくそ言ってましたよ。
先代には到底及ばない、と。落語家は全員通。ファンも。
まぁ厳しい声がガーッと行くんですよ。(太田光)


不眠になり、毎晩ビールを3リットル飲み、睡眠薬も服用。
「まだ完成の途中なのに、なぜ完成された父と今のおれを比べるんだ」
そんな生活を3年続け、93年重度の胃潰瘍になり、4分の3摘出。
99年には肺炎と胸膜炎を併発、2000年腸閉そく。
たび重なる体調不良で声が出なくなり、精神崩壊。
自殺のひと月前は10時間以上徘徊し、保護されたことも。

姉「選ばれたものと選ばれてないものしかいない
 そんな考え方しかできない子でしたから。選ばれたものは王道を歩く
 王道を歩けなくなったら人生やめた方がいいって」
姉の一人息子も03年落語家に
「桂三木男」(二ツ目)。
自殺の家系なんてよく言われるけど、ジンクスを壊してほしいな。
首つりの現場に居た。
「叔父の生きてるころには見えなかった姿を少しでも感じれるかな、と思って」

追記:2017.4.25
泰葉が「三木助を自殺に追いやったのは元夫」などと言ってるようで
エライ読まれようになってて驚いた。
この番組では、そんなこと全然言ってなかったし
なぜ今になって小朝師匠を貶めようとするのかがわからない。
嘘や戯言なら名誉毀損になるのでは。

デイリースポーツ 記事
2008年「オーラの泉」に小朝師匠が出たときは
三木助さんのことは親友だと言ってた 記事参照

2013.09.16

【感想】錦秋落語特別公演 円楽・小遊三・市馬 三人会 下関市民会館

※スケジュール帳にメモってきました。
笑いながら書いたので若干の間違いがあります。
Campusノートに書いたほうがよかった。以下かいつまんで。

●三遊亭好吉「子ほめ」(柳家喬太郎版 音声のみ
・好楽師匠のお弟子さん。4年目です。

・・・すぐに終わりますんで。
お客さんの年齢層も大事でございます。

98歳の方が亡くなられたので、黙とうの後に落語ってのもありました。
今日は天国のような環境で。
「鵜の真似をする烏 水におぼれる」
4人会と言ってもいいくらい良かった。

●小遊三「長命」
日露戦争以来の拍手をありがとうございます。
笑点に間に合うように切り上げますので(←日曜日の14:00~)
下関といえば、アタクシ下関商業の池永さんと同級生で。
池永さんねぇ、いまのマー君どころじゃなかったんですから。
アベさんも・・
東京オリンピックには裏がありませんからねぇ。
滝川クリステルさんも「お・も・て・な・し」っつってね。
・・これ、ずっと考えてました。
えぇ・・・前の方で大きないびきをかいて・・・起きましたか??
気を取り直して、小遊三と申します。
午後12時現在、歌丸の生存は確認されております。
ヒトも車も油っ気がないと生きていけない。
歌丸師匠は体脂肪率がマイナス5、趣味は手術。骨粗鬆症なんてもんじゃない。
骨はウエハース状態。一回焼き場で焼いたんですから。
後ろから突き飛ばしたらクシャおじさん。
富士子サンは師匠がおなか痛くてトイレでうなってんのに
ミカン食ってて、テレビのボリューム17から34に上げてた。
古典落語で全員熟睡させよう。
姉は昭和10年生まれで、死んだお袋と一緒に住んでて
あ、死体と住んでたんじゃないですよ。お袋の名はソフィアローレン。
※・・・詐欺電話に引っ掛からなかったって話ですね。
姉さんが電話口で「おばあちゃん!!」って連呼されたのにキレたって。
●柳亭市馬「片棒」
柳家三之助版「片棒」参照
山形の中学校で与太郎のまぬけ話。
「そこいるの、与太郎じゃねぇか」・・2,30分笑いがおさまらない。
「相変わらず間抜けだ」・・まだ笑ってる。校長の名前が「髙橋与太郎」だった。
師匠は柳家小さんでして、ふかしたての肉まんみたいな。
内弟子で住み込みだったんですが、師匠はあさげゆうげを一度も飲みません。
剣道ばっかりしてまして。時々師匠打ち込んでました。
山口県と言えば豊真将。(←呼び出しをやってくださった)
「片棒」も下関球場を登場させるなど、あたしゃ大笑いしたよ。
それにしてもいい声ですねぇ。

●円楽「寝床」 圓生版 参照
袖で仲間のおしゃべりを聴いておりました。
男のおしゃべりは嫌ですね。歌を歌ったり・・歌丸師匠の悪口を言ったり・・
すれ違いざまに小遊三サンが
「今日のお客はイイねぇ」楽屋じゃぁ
「今日の客はバカじゃなかろうか」www
あと2年で笑点も50周年。なんとしても歌丸を生かしておきましょう。
ウチの師匠は77歳で逝きました。
談志師匠も77歳で逝きました。
歌丸師匠は今77・・・
統計を述べたまででございます。




空席とは申しません。「ゆとり」と申します。(円楽)
後ろっかわしかチケット取れなかったのに前が空いてたな。
当日券のほうがよかったかしら。
高校生が若干いましたね。野球の秋季大会は観に行かなかったんだ。
11月の連休に博多・天神落語まつりがある。いけそうにない。
キャナルシティの11/2 東西・味の艶色や
(←歌丸 ざこば さん喬 文鎮 鶴瓶 米團治)
JR九州ホールの同日 笑点五人男、3日キャナル「博多笑点街」
4日の「東西で祝う六代文枝襲名披露の会」・・・
行った方は是非ご報告を。
それにしても台風なんだけど、無事に帰れたかな。


 

2013.04.27

サワコの朝 立川志の輔 談志師匠を語る

ゴルフなんぞをご一緒にさせていただいてる
本業は大変なんですよ。この方のチケットが取れなくて。
※行ってみたいけど来たことないもんなぁ。

ゴルフなんぞっていうとは思いませんでした。
この5年なんぞは本気でやってましたから。
打った後こんなに空が広いのに、なんで下を這うんだ。
記憶の中できらめく曲
スターダスト・レビュー「シュガーはお年頃」
落語会の最後、客の送り出しに流れる曲。
発売と同時に僕の耳に入って
おそらく落語家になる前の年。そのおしゃれさ加減がたまらず買いに行った。
人耳惚れ。それから毎朝聴いて出かける。
個人的生活の出囃子になってる。
歌詞とか何とかじゃなくて、スコーンと抜けた感じがよかった。
どんな落ち込んでるときでも大丈夫ってぐらい助けてもらった。
あっ要さん若い。うわなつかし~♪
じいさんが伯父夫婦と、僕を育ててくれたんですけど。
テレビつけると白黒の画面で落語やってるのみながら
爺さんが爺さんを見て笑ってる。何してんだろ向かい合って笑って。
いま思えば小さん師匠なんですよ。小さん師匠見ながら笑ってた
明治大学のキャンパス歩いてて
どのオリエンテーション入ろうかなと思ってたら、着物着た人が
「ちょっとこっち来て。いいからいいから探してんだろ」と
連れて行かれたのが大きな教室に高座があって
それを見ている学生がどーんと笑ってるんですよ。
これが落語ってものかとすぐ入部して。
8月に休みで帰った時に
「おまえなにやってんだ」「落語」「できんのか」
そこで着物着て落語やったらおじいちゃんすんごい喜んだんですよ。
ちっとも面白くなかったんだろうけど
僕が出かけてる間に息子夫婦に
「落語やってんだよ。ほんとによかった「。学生運動はやってない」
●談志師匠に弟子入りした日
1月の11日、雪の降る日に談志師匠の家へ。
(兄弟子が同じ落研出身なので)
「履歴書持って来て。午前中寝てるから午後から。」
師匠は毛糸の帽子被って。履歴書見ながら
「・・大学は出ました。劇団に入りました。辞めました。
サラリーマンになりました。辞めました、と・・・なるほど。大学卒業して
劇団は行ってもダメ、サラリーマンやってもダメ。
落語家にでもなろうかってやつか。ま、いいよ。そこらあたりをうろうろしてろ」
そこらあたりをうろうろしてろって、入っていいんだか悪いんだか。
師匠にとってとにかくなんかが飛び込んできた。
兄弟子は「師匠は来るもの拒まずだから。弟子にしてくれるかどうかってのは
この先のことだから、明日も来なよ」
9時10時に行って庭掃除やって、鞄持って
師匠はその頃高座に上がってたので、
楽屋にいらっしゃる前座さんにカバン渡して。寄席は聞けないです。
終わったら、一応「車が来ております」(笑)
入門して3カ月目に
「落語・・・今からやるからテープレコーダーか何か持ってるか」
感激ですよ。あこがれの師匠が1対1で自分のためだけに。
太田道灌の落語を。
面白いところの多い噺じゃないのに、師匠がやると面白いんですよ
「師匠がやってんのに笑うんじゃねぇ、バカヤロ」
そういうとこから教わりましたね。
うちの師匠は私にそれ以上細かいことは言いませんでした。
師匠のテープでそっくり覚えて、高座でやったら終わって怒られましたね。
「いいか!あれは俺が拵えた落語で。そっくりやるのは無理だ。
基本が違う。いつかああいう落語をやれればいいんだ」と言われて。
そういうことを教えてくれる人でした。
しつこくはないけど、破壊力がすごい。
師匠は江戸っ子なんだけど、肌襦袢じゃなく、
半袖のVの字のシャツを着るんですよ。それを僕ともう一人の弟子が
着物の支度をしていたら、箪笥に長袖が入っていたんですよ。
「誰だこれ入れたのは!!」長袖を広げて
「これで俺に落語をやれってのか!!」
「師匠、申し訳ございません。とりあえず今日のところは・・」
「着るぐらいだったら!・・・上げる!!」
袖をまくりあげて落語やって。降りてきた。
事なきを得たと思ったら
「見ろ!!30分もやったから
(肘にまくった跡がついて)色が変わっちゃったじゃないか!殺す気か!」
怒鳴るんだけど優しい処理の仕方なんですね。
世間の方はどう思ってるか知りませんけど。
亡くなって1年ぐらいは、師匠についてしゃべる気はなかった。
こんなひとでした、ガハハと笑う気にもならないし
しょんぼりしていてもいけない。
誰かが「あとでボディーブローのように効いてきますよ」と
言ったけど、ああいないんだ師匠・・・と。
例えば1カ月公演を8年やると、10日の間に2日休みもらっても
体は正直だからしんどいってなってきますよね。
師匠に電話して「続けた方がいいんですかね」
師匠だったらどうするかなと思いかけて「あ、居ないんだ」って。
そりゃもう反面教師。でもだんだんと似てくるって。
芸じゃなくて態度が似てきたって言われるのがいやでw
言葉よりも一番うれしかったのは
1カ月公演の時1日だけ見に来てくれたことがあったんです。
新作の「歓喜の歌」で。
落語に入ったら忘れて、緞帳が一度下がった時に
「きょうは談志師匠が来られてて、もうお帰りに・・」
言いかけたら師匠が「いるよ!いるよ!」
すぐ帰れるように出口の一番近い席のところに。
「よかったら舞台の方においで願えませんか」「あそう、あそう」
●一番うれしかった師匠の言葉
「他人の落語を、初めから終わりまで観ていたのは、
今日が初めてなんですよ」
この言葉を考えながら見てたんじゃないかと。
三本締めまでしてくれて。
でも他人には
「ただねぇ、落語が終わった後にママさんコーラスが
60人いるなんている終わり方は田舎者じゃないとできませんねぇ」
今心に響く曲
丘を越えて 矢野顕子
おおもとを知らない若者がこれを聴いている。
先人の作ったものがこんな風に変わる。
ああ、やられちゃったなと。いい詞なんだな~
うちの師匠ほどお時儀の深い師匠さんはいないんですよ。
でもそのあとにパッと顔をあげて
「こんなところに来たくなかったんだよ俺はっ。眠かったんだよ
無理やり起こされてここへ来たんだよっ」

2013.01.28

NHK ファミリーヒストリー 柳家花緑 小さん師匠。

昭和11年2月26日

近代日本最大のクーデター。2.26事件
兵士たちの中にいたのが柳家小さん。
歴史的事件の現場、極限状態の中で落語を披露した。

父親が離婚していなかったから、
ボクにとって師匠は祖父であり父親でもある。

小さんの父伝之助。
本業は農家。繭を取る養蚕農家だったが
伝之助は次男なので家を出なければならず、長野へ。
紡績工場の仕事を紹介してもらい、山梨から来ていたてふと結婚。
大正4年生まれの末っ子が、盛夫(小さん)。
やがて金貸し業を始めるが、お人よしで取立てが出来ず
夜逃げ同然で長野から浅草へ。
並外れた話術の持ち主である盛夫は人気者に。

結核をわずらっていた7歳年上の兄は物語を語って聞かせることが好きだった。
18歳で亡くなってしまったが、話好きは兄の影響である。

驚いたのは小さんの中学時代の同級生が
97歳で未だ御尊命なこと。

小さん師匠が剣道をするシーンは
ドラマやCMでもよく覚えている。
ま、なんといってもあさげひるげゆうげ。
お湯をさすだけの味噌汁がこのひとにかかると非常にうまそう。

中学を卒業した小さんは法律事務所で働く。
生まれて初めて行った寄席に衝撃を受け
18歳で落語の世界に。
「落語界一の人格者」と新聞記事になった4代目小さんに弟子入り。
師匠が舞台に上がると、袖で懸命に練習。
だが陸軍に招聘される。銃機関銃を扱う部隊に配属。
歩兵第三連隊。
入隊して1ヵ月後
初めて実弾を手にし、どこへいくか聞かされないまま出発

二等兵に行き先を聞いたが俺もわからないと言われ
偉い人の警備に行くんだ、とだけ。
部隊が到着したのは警視庁。
上官からは東京の治安維持としか聞かされず。
当時の同期の方も98歳で生きておられた。
「世間からは悪者と思われても、自分たちには情報が入らないからわからない」
半蔵門交差点で、兵隊が封鎖する姿を目撃した人も。

詳しい状況が兵士たちにわかったのはその日の午後。
決起から2日後、食料が届かなくなる。
昭和天皇が決起部隊の鎮圧を命じていた。
反乱軍とみなし包囲したからである。

畑和(はた やわら)。後の埼玉県知事。歴代最長、20年務める。
「部屋の中は興奮と怒声。何か悲愁を感じずに入られなかった。」
その時一人の長官が盛夫に近づき
「みんなを笑わせ 落ち込んだ士気をあげろ 落語を一席やれ」
披露したのは「子ほめ」
ちっともわらわねぇんだよ。生きるか死ぬかなんだから
そこで一席やったって 笑うわけがない
生涯で唯一うけなかった落語。(小さん)

29日 決起部隊は投降を決意。


「反乱軍」の汚名は重くのしかかり
2ヵ月後に歩兵第三部隊は満州へ。
70キロの行軍を強制される。
つらい時こそ仲間を笑わそう、と必死になる。
昭和14年除隊。高座に復帰し、二ツ目に昇進。
昭和17年結婚。生まれた娘はのちの花緑の母。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

強くないと人にやさしく出来ない
こういうときの経験が人を作るんだなって
伝之助さんの話はあんまり知らなかった。(花緑)
花緑さんは昭和46年生まれか。
ずっと小さんの孫と言われるプレッシャー。
あえて厳しく接した小さん。
亡くなる3ヶ月前まで高座にあがっていた。



昭和20年、終戦になってもベトナムのツーランで捕虜生活。

ここでも仲間を元気付けようと渾身の落語を披露。
笑いが出てきて 気分がほぐれる。
つらい時こそ笑いが希望になる。

落語評論家 川戸貞吉(師匠とは40年来のつきあい)
「人前でやって初めて ここでうけなかったのはなぜだろうと
考える。落語はそうやって習得していくもの」
昭和22年 真打昇進。

最古の映像は昭和43年(←あっ、ワタシの生まれた年)
平成7年人間国宝。
「芸は人なり」
人間性
心が汚れていると出てくるものはみな汚い
ずるいやつぁずるい。生意気なやつぁ生意気な噺。
心は清廉潔白でなくちゃいけない
「守 破 離」
さいしょは師匠の教えを守り
それが出来たら師匠の型を破らなくちゃいけない
ほうぼうへ行って稽古をつけ
人の技量を取り込んでしゃべっていく
今度は自分の物をこしらえていく これが「離」



2012.12.16

【感想】江戸落語五人男 歌丸 木久扇 好楽 円楽 たい平 in下関市民会館 

観たのは12月12日12列目。

きょう(16日)はサッカーや選挙のため笑点は放送されず。

なのでこの日に記事アップ。

五人男、島根や埼玉でもあり

来年は宇都宮でもあるようです。

歌丸師匠と木久扇師匠は、初めての下関だそう。

開演20分前に着いたら、普段着姿の木久扇師匠が座っておられ

その場で著書「これからだ」にサインしていただきました。

読みました。ほのぼのとした気分。癒される。

004

木久扇師匠は開演10分前ぐらいまで座っておられたので

笑点の黄色い着物を着るまでに若干時間がかかったんじゃないかしら。

最初は5人男のトークから始まった。

円楽師匠「えー、この中で木久蔵ラーメンを買われた方、賞味期限を確認して

くださいね。麺は炒めてお召し上がりになったほうがいいですよ」

好楽師匠の奥様は山口銀行の日本橋あたりの支店に勤めておられた。

二ツ目の時に知人の披露宴の司会もされたのだとか。

噺の順をくじで決めた(←ラーメンの割りばしw by円楽)

歌丸→木久扇→好楽(その後休憩)→円楽→たい平。

歌さんは忠臣蔵。天野屋利兵衛は男でござる、尻餅の噺

(←すみません乱暴な要約で)

木久扇さんは、この日、北朝鮮がミサイル発射したもんで

「ワタシの名前を一般公募したら、33334通来まして。

林家テポドン、林家将軍様なんてのもありました」

選挙が近いので政治ネタも交えておりました。

「偉大な政治家は顔がでかい。角栄さんとか。

安倍さんは潰れた食パンのようだし。管さんも中々おやめになりません」

声帯模写、角栄さんはもちろんB29やら

太平洋戦争の際のラジオの音声やら、三平、談志両師匠に至るまで

聴かせてくれました。5人の中では一番楽しませてもらったかも。

好楽さんとたい平さんは内容が途中まで三人男(記事参照)と被っていた。

談志師匠が亡くなってはや1年経ったが

円楽さんも声真似をしていた。

「(談志師匠は)選挙の時に 長屋のみなさん、とついつい言っちゃうんですね

ここの楽屋は陽がさして暖かいので、歌丸師匠は今寝ています。

顔にハンカチをかけておきました。」

5人で2時間半。前回のメンバー(好楽、円楽)は

若干短めに切り上げていたような。気のせいか。



隣のおじさんが通天閣のおっさんに(←中川家礼二のものまねネタ)

そっくりで「いやぁ笑点とはまた違うなぁアヒャヒャヒャ」などと言っていた。

結構満席に近い感じだった。

ことしは本当に亡くなる有名人が多かったが

年の暮れに五人の生存が確認されてほっとした。







2012.07.29

nhk bs  桂三枝のすべて 六代桂文枝襲名

30年前、大阪の民放(「国盗りゲーム」)でアルバイトをしていた。

履歴書整理やプレゼント発送、観客誘導など。

このような番組をやるとは思っていませんでした(生瀬勝久)

鶴瓶登場

お兄さんと出れるのは非常に嬉しい。

三枝時代はお兄さんと呼んでいたけど、これからはそうは行かない。

テレビに出て長いですね。

もう・・・100年・・・

長いといわれたらそれぐらいいわな。」

ボク松竹なんです。それをおもろい言うて呼んでくれた。

さんまちゃんの娘さんと銀座行こうかって、店行ったら

アフロにセーラー服で(鶴瓶が)座ってた。」

談志師匠はお兄さんのこと好きでしたね。

桂三枝兄さんの世間の評価が低すぎる。

「湯煙」「悲しみ」を僕もらったんですけど

生きてる間に創作落語をくれる人は珍しいです。

自分のを他人がやってるのは、嬉しいけど腹たちます。

そういうやり方があるのかって。

古典に手が回らなくなってきた。ボクは稽古のときに声出さない。

本番でエエ声だしたいから。人間の出す声は長くいい声で。

なるたけ使わんように普段はしゃべらない。

・テレビとの両立 ちょっと出てなかったらすぐ言われる。

よううまいこといきましたな。

意思みたいなものがあって。噺家で名前が出て、高座あがって。

枕が吉本の舞台でやってるから自分も笑わそうとするけど

落語があるから最初はうまく行かなかった。

意地みたいなものはありましたね。

さんまちゃんが落語に戻ってくれたら。

来年、ボク古希なんですよ。

可朝師匠と一緒に、米朝師匠のところに行ったら、

銃みたいなものがあるんですよ

もってかえって、えらい怒られた。

「三枝君、売れてるのは誰のおかげや。

文枝師匠にテレビに出してもろたんやろ。恩返しせな」

と米朝師匠に言われた。

イタリアに老人施設がある。舞台に出られへんようになったら

集まれる保養施設があったらええと思いまへん?

昔はよかったなぁ、みたいな。

噺家なんて仕事ないときは家にずーっとおるし、酒のむし。

細かいいうか、家で疎んじられてるんが多いやないですか。

落語家を職業と思うと面白くない。

文枝を継ぐとおっしゃったのはすごい。

三枝は俺にくれなはれ。

三枝という名前は僕自身。本名は河村静也で落研までやって。

初代三枝の作品として残したい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ワタシはいちばん怒られた人間です。

小染さんとか誰かがミスしても「さんま、ちょっと来い」と。

ワタシを市中引き回しで。

コレは全部6代目文枝さんの責任。

「夏の暑いところに冷房が利いてなくて

おっさんに殴られて”ダンボウすな”」いう小話。はじめて覚えました。

こぶ平を三平と呼ぶよりも嫌です・・・ 明石家さんま

人間どっかでほっとしたいツボがあって

三枝師匠はそこへ入っていくお笑いなんですよ。

居酒屋って落語のネタ帳見ると、昔はあったのに今はない。

ぼやきならあるけれど。

師匠は古典に対して三歩下がって頭(こうべ)をたれながら、

もっとすごいのを創る。・・・春風亭小朝

新婚さんいらっしゃいを夫婦で欠かさず見てるんですよ。

創作落語のDVDやCDを寝る前に聴く。

あの人ほど努力する人はいない

間の様子、情景描写。真剣に生きておられる。

ウチも結婚42年経つわけで。

「妻の旅行」には共感する・・・・加山雄三

↑ゆうゆう散歩見てないんで久々に声聞いたら

うちの父親とトシ近いせいかめっちゃジジむさいしゃべりになってて

どっか悪いんかと思った。

仁鶴さん、やすきよと切磋琢磨していた頃。

僕らを袖からずっと見てるんですね。

戦友やな、同志やな。小さなことからこつこつとがんばります。

・・・西川きよし

ダンディーでかっこいい、テレビで見てた通りの方

小さなことを嬉しそうに笑いながらおっしゃる。

創作落語の世界は身近なことで面白いことを探していこうと

勉強させてもらってる。

本当にスマートなんですよ。落語のことは考えてませんよ、って。

・・・・立川志の輔

「吉本でもないのに前説をしてくれた。

たいへんありがたい

来年、1975年はウサギ年だ。君の芸名はラビット関根だ。」

師匠ありがたく使わせていただきます、と。

「花嫁御寮」が好きですね・・・ 関根勤

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

中学時代は絵画部、高校は放送部にいて

それが全部後になって活かされた。

入門10ヶ月で「ヤングタウン」レギュラーに。

「お前は素人口調だ」と言われた。

視聴者参加型の番組が多かったので、どんどん古典と離れていく。

しゃべり方が全然違うんですよ。古典に入ると違うなあと

その辺は苦労しましたね。

円丈師匠の落語が人生を変えた。エッセイのようだった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「パンチDEデート」「国盗りゲーム」「愛ラブ爆笑クリニック」・・・

もう一回どっかで放送してくれないかな。

ちょっとだけやけど「あたかも読書」やっとったな。

八方、きん枝、染丸、文珍・・・

「キリンのキンちゃんの冒険」ワタシは好きだ。

「宮本武蔵 死闘巌流島」ちょっとキツいな笑うには。

文枝の突っ込みがなかったら笑えない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

五代目文枝師匠を語る

文枝:生まれてはじめての海外は師匠と一緒だった。

やはり女性と行きたかった。

気ぃ使うどころか、おなじ部屋やねん。

「パスポートがない」言い出して。

師匠のために強制労働というか、将来のある身でしょ

この人のために将来が閉ざされたのかと悲しくなり

ベッドの下からかばんの後ろまで探したら

「腹巻の後ろに立ってたわ~」

師匠と奥さんが一緒に寝てはるところを通って

トイレ行くんですよ。そろそろ階段下りたら

「やかましいわ~!寝てられへんわ!」て。

大阪弁のよさ、古さをそのまま落語でやる。

文珍 :ハーレーの後ろに乗って隣のセトさんちへ。

歩いたほうが早いって。

三枝のムラムラ日記 音声のみ参照

新婚さんいらっしゃい!でわかった幸せの法則 2008 記事参照

歴代文枝師匠の映像も見られ、贅沢な番組。

気が向いたらおいおい追記。(15時40分現在)

こちらも

feedly

  • follow us in feedly

ほしい物リスト。

無料ブログはココログ