歌舞伎

2017.04.24

徹子の部屋 片岡愛之助 なれそめ、新婚生活の話。愛一郎登場

徹子:ご結婚なすってから初めてお会いするので。
    あの方、どういう方?ハッハッハッ!!藤原紀香さん
片岡:そうですね。ここ呼んでいただいたら多分よくわかると思うんですけど
    同郷なんですよ。同じ西の方の、関西の人なんです。
    普段は二人共大阪弁。
徹子:そうやねん、とか
片岡:逆に家で標準語だと「なんで今標準語?」突っ込むぐらいの
    みなさんはどういったイメージなんでしょうね
    天真爛漫としてて、意外とおっちょこちょいなところもあり
    常に家では笑顔が絶えない、楽しい家ですね
徹子:いいですね。家でご飯なんか作ってくださる?
片岡:作ってくれますね
徹子:非の打ち所のない
片岡:そうですね、なんでしょうね。非の打ち所。なんでもなんかこう、
    頑張りすぎる。一生懸命打ち込みすぎる。
    程よくということを、もうちょっと覚えて欲しいというくらい。

■きっかけから婚約まで


徹子:でも今は新婚ホヤホヤだから、やっておかないと
    一昨年こちらにおいでいただいた時は、ご結婚の話はまるでなく
片岡:そうなんですよ。生涯独身でいようと思ってましたから
徹子:結婚なさらないって感じでしたもんね
片岡:そうですね。そんな感じに見えました?
徹子:ええ。それで仕事熱心っていうね、感じだったんですけど、いきなり
片岡:結婚する気はなかったので、僕の中では。
    結婚されてる方に伺うんですよ。「どうして結婚されたんですか?」
    大体の方が「タイミングと勢い」とおっしゃるんです。
    その勢いとタイミングはいつ来るんだろうと。
    僕からしたら全然解答になってないじゃないですか
    よくわからないと思ってたら、自分がするときにこういうことだ、と。
徹子:どういう具合で、藤原紀香さんとお会いになったの
片岡:知り合いになったのは、今からだと6~7年経ちますね
徹子:その時は、そういうお話はなかったの
片岡:全然なかった。友達でしたね。
徹子:なんで急に「今だ!」ってなったの?
片岡:いや、なんか、タイミングが来たんでしょうね(笑)
    僕はずっと友達でいたほうがいいなあと思ってたので
    役者として舞台でもテレビでもでる方って少ないじゃないですか
    そういう意味で役者友達として、カラオケなんかにも行きましたし。
    二人で行ってもタクシーで送って、おつかれ~ってかんじで。
    何かこう、来たんでしょうね。押し寄せるように。トントントンと。
    結婚という運びになったんで
徹子:プロポーズもなしで
片岡:プロポーズらしいプロポーズもしてなかったです
    よくロマンチックに何かあるじゃないですか。指輪さっと出してきてみたいな
    残念ながらそんなシチュエイションはなかったです。
徹子:おあげになったものに、文字をお入れになった。
   「吾(あ)が君を思う 来世迄も
片岡:どんな言葉がいいのかって考えたときに、ありふれた言葉とイニシャルだけじゃ
    つまんないなって。結局僕は歌舞伎役者なので、いろいろ考えても
    「吾が君を」とか普通使わない言葉じゃないですか。そういうのが浮かんできて。

徹子:綺麗なほうが得ですもん
片岡:得でしたか

■披露宴と家庭での妻の仕事
片岡:僕もいい歳ですし。でも先輩方から言われまして
    披露は儀式なので、皆様に披露する、いわゆる同業者の人たちや
    他の方々に披露して、よろしくお願いしますという儀式だから。
    それはきちっとしたほうがいいと
    二人ともする気はなかったので慌てて考えて。
    すごく緊張しました。舞台に出るより緊張しました
徹子:ああらたいへん
片岡:まさか自分が座るとは思わなかったので、すごく緊張しました。
徹子:この人をお嫁さんにしようという大きな決め手はありました?
片岡:すごく家族みたいな雰囲気があって、気を使わないのは大きい
    一人が長かったので、人と暮らすことができるのかなと思ってたんですが
    できましたよね。結婚ていいもんだなと。
    今まで周りのスタッフがしてくれてたことを、妻がすることにより
    芝居に集中できる。お礼状書いたりとかいろんなことを
    全てやってくれますので、すごく助かりますね。
    奥さんは毎日劇場へ行かなくてはいけないと思ってらっしゃる方
    多いですけど、全然そんなことないんですよ
    初日と中日と千秋楽はいなきゃいけないでしょうけど
    あとはご贔屓のお客様がいらっしゃった時に。
徹子:紀香さんいないのかなあと思ってらっしゃる方多いでしょう
片岡:街角で見かけた時は気軽に声かけてください
    

■愛一郎登場
徹子:さて、あなたのブログに愛一郎さんがよく出てて
    あなたを一番よく知ってる。お入りください
愛之助:愛一郎と言いまして、私の弟子。本名横山光一と申します
     上方歌舞伎塾という、歌舞伎役者を養成するところの一期生。
徹子:今はあなたの身の回りのことをやってらっしゃる
愛之助:常に一緒におりますので
徹子:この方結婚なさいましてかわりました?
愛一郎:そうですね。僕最近そんな、えっと、舞台とか終わりましたら
     すぐおうちに帰られるので。前はお食事行ったりとか
     夜中に開いてるお店に行ったりとか(笑)
徹子:今はすぐ帰っちゃう
愛一郎:はい。
愛之助:それ、ファミリーレストランのことなんですよ
      言ってる意味があまりわからないと思うんですよね
      訳しますとね、まずご飯は外食じゃないですか
     終わったら一緒に食べに行くわけです
     次の舞台のセリフのこと、やってよとちょっとお願いして。
     実は僕らファミレスでするんですよ(笑)夜中に。
     3時とかまでやってることもあったんでしょうけど
     最近はそれをせずに真っ直ぐ家に帰ると言いたかったんでしょうね
愛一郎:そうです
徹子:今日来ていただいたのは、あなたが半沢直樹で大変な役をしましたとき
    ああいう方がいるのかと、女形のような
愛之助:女形じゃないです。オネエです(笑)
徹子:オネエでいらっしゃった時の先生がこの方
愛之助:そうです。先生というか彼を見本にしまして。彼はオネエじゃないんですよ
     女形ですから普段から物腰が柔らかい、かつユニーク。
     なるほど、そういう風な喋り方や仕草をデフォメルしてったら面白いと
     右の口だけキュンと上げて笑うんですよ(笑)
愛一郎:自分で意識したことないんで

つぶすわよ、もやらせてた。最初から二人で登場したほうが面白かった
愛一郎から見た愛之助も全力疾走型だったけど
結婚したら変わったんだとか。

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サワコの朝 片岡愛之助 10年間休みなし (2014)

2017.01.14

【まとめと感想】サワコの朝 三田寛子

■スキャンダルと梨園の妻の役目

阿川:蒸し返すようでなんですけれど、初日を迎える前に
    ちょっとした騒ぎがお有りになって。パニックにはなられたでしょう?
    あのスキャンダル記事が載ったときは
三田:いやもうとにかく今になって「あの時はどうでした?」
    聞かれることもあるんですけど、ほんとに必死だったんですよね
阿川:例えば旦那様に向かって「何よ!」とか「ひどい!」とか
三田:言ってるレベルではなく、目の前に襲名があるんですから
    まずはこの襲名をきちっとしないと。家族の細かい感情とかよりも
    人様に迷惑かけちゃいけないことをきっちりとしてから、次でしょ!という気持ちも
    もちろんあったのかもしれませんけど。襲名は、
    成駒屋としてはやっぱり、妻としての仕事で一番大事なのは
    お切符を1枚でも多く、イコール客席を埋めなくては大入り満員にしなきゃいけない
    使命がやっぱり一番なんですね。主人のことを感情的に考えてるほうが
    びっくりで、その事を考えると逆に生きていけないぐらい。
    それを今考えちゃったら、あたし前に進めないかも~っていう
    思いに駆られて。まずは一つずつこれをやらなきゃっていう...

※話が長いが一番言いたいことは下4行太字の部分。
 早口の寺島純子って感じがする。中略。

三田:ですから大変お恥ずかしいわたしが、会見っていう形にないにしても
    取材陣の方に対して私の言葉で言う...
阿川:あの時の雨の中でね、ビニール傘をさして、みなさんへの対応を見たときに
    奥さんの感じっていう、しっかりしてる
三田:ほんとにね~わたしそういう風に言ってくださってもう恥ずかしい
    あの時ホントにお辞儀だけして、来てくださった方に対応したり
    ありがとうございました、と一言二言言って
    襲名の事務方の仕事がいっぱいあったんで、
    行かなきゃいけなかったんですけど、見たら女の記者の方が
    もうびしょ濡れになって「三田さーん三田さーん」言ってるのを見て
    「どうも」だけで入れない。おんなじお仕事してて
    どれほどスタッフの方が大変な思いしてるか。
    この現場に仕事としていらしてるかと思ったら....
    お話しようとしゃべりだしたら、しゃべりぬいちゃった(笑)
    ねえ~わたしそこが

阿川:子供だって動揺なさると思うんですよ。僕たちも襲名するのに
    一体なんの騒ぎなの?って思う
三田:子供たちは記者の方がいきなり来たので「何かあったの?」みたいな感じ。
    子供たちには一番申し訳ないなって思いましたし
    主人と私が話をするにしても、夫婦の話として違うところで話して。
    子供達は「子供がいるからってことを理由に沽券を出したりしないでくれ
    お父さんとお母さんの人生だから、いいように」と言ってくれましたね。
    「お父さん分かりますか?
     お母さんどんだけ傷ついて悲しい思いをしているか。」子供なりに
    お母さんを気遣って....言ってくれましたね
    子供が成長するって中には、親が頼りなかったり
    一生懸命頑張ってるつもりでも普段はドジだし、怒られてばっかりだし
    そんな私ですから、きっと反面教師も含めていろんな学びを家庭の中で
    してくれてるんだなって思いました。

※ここまで約8分
沽券(こけん) 人の値打ち、体面、面目。「~にかかわる」
83年 花王トニックシャンプー 田尾安志とのCM 動画

学校のプリントにも使えそうなすばらしい模範解答。
そして絵に描いたような母子関係。
言えば言うほど父親の落ち度が浮き彫りになる恐ろしさ。

■記憶の中で今もきらめく曲
菅原都々子:月がとっても青いから  

母が歌っていた。母といえばこの曲。もう他界してしまったんですけど。
常に母の存在が心のオアシス。
ちらっと聞く所によると10年付き合って大恋愛で結ばれたようです。

ほんとに二人で頑張ったんだなと思うともっと親孝行したかったな(泣)
厳しい家だったので、父はまず泣くと
「ホントにずるい!女は泣きゃいいと思ってるのか!
 まず反省して謝ってきちっとお話をしてから人のいないところで泣け!!」
今ホントに泣いちゃうの、昔泣けなかったからだと思うんですよね
東京出てきてからも、辛くて泣くときは寮のシャワーをぶわーっと出して
音を消してからうわ~っと泣きなさいって言われて。
かわいくないな、隣の子は可愛く泣いてるのに私は泣いちゃいけないんだって。
「歯を食いしばれ!!」可愛くない女子だと思いつつも
父親の教育は根性ワルの女の子にしようと別に思ってなくて
泣き言を言う前にきちっと謝ったり、そういう事を言ってて
女の子は朗らかな笑顔で暮らしなさいって言われました。

南沙織と比較して聴いてみたい
色づく街 動画  
やっぱり本家本元かな 動画

三田:主人は歌舞伎の師匠として、最初から子供には怒りたくない、
    褒めて褒めて育てたい、優しくしたいんだと
    怒っても「お前んとこの母ちゃんすげー怖いな」って。
    (子供の友達が)みんな来なくなった。

カルピスソーダのCMが最初かと思ったら違ってた
デジックデッキ 81年 動画

子供の反抗期、親としては絶対その暴力にひるんではいけません
母親がひるむと、助長して家庭内暴力の始まりですと書いてあったので..
胸ぐら掴んで壁ドン

国生(長男)くんの反抗期の話。女の人の力はこんなに弱いと分かったので
守るために生まれてきたと。小6でそう言えるとは大したもの。

三人兄弟はそれぞれ、橋之助、福之助、歌之助を襲名。
あっ、この収録に3人ともいたんだ。

40代で競馬の初心者コースを始めた

■いま心に響く曲
自分を取り戻したい、不安になった時に。
レミオロメン/3月9日

こんだけしゃべったら本読まなくても十分そうだけど

2015.09.05

サワコの朝 中村吉右衛門  実兄・松本幸四郎と比較されて。 鬼平 

2013年四女結婚。今年(2015)二人目の孫誕生。

記憶の中で今もきらめく曲
死刑台のエレベーター
母に映画館に連れて行かれまして。中学1年生とかその辺。
不倫の話で、つまんねぇなあと思ってたら聴こえてきて。ジャズ。
こんな素晴らしい音楽があったんだなあと。

僕を映画に連れてってくれた実母は、初代吉右衛門の一人娘。
父は「女と見てない、この子は男の子だ」と舞台にも出していた。
ある日「松本白鸚のところへ嫁に行きます。
男の子をふたり産んで、ひとりは藤間家の跡取り、次男をお父さんのところに養子に
出しますから、許してください」と。
そうならないかもしれないじゃないですか。子供はわからない。神のみぞ知るし。
でも産んじゃうんです。僕はよそに行かされるし。
「お前は跡継ぎだ」って実母二人にわぁわぁ言われました。
何やっても怒られないし。お弟子さんの首を刀で突いたりしても怒られない。
でも10歳で初代は亡くなります。そしたら「若旦那」が「バカ旦那」ですよ。
中村吉右衛門という名は「止め名(一代限り)」にしようって。
僕がいるのにですよ。

実父(松本白鸚)は、初代吉右衛門の芸を全部わかっておりますから、
それに合わせれば良いと。

松本幸四郎と比較されて
僕はミュージカルの才能もないし現代劇もできない。
自分は必要とされないんじゃないか、役者になってはいけないのではないか。
10代ですね。大学入試の時に文学の道に進もうかと思いました。
ダメならジゴロになろうかなと(笑)もっといいますと、フランス人の彼女がおりまして
追いかけていこうかと。
「僕はフランス文学の勉強をしたい」と実父に言うと
「なんでもなっちまいな」と背中を向けられまして。
かたや松本幸四郎というのを背負い、こっちは中村吉右衛門を背負って、
彼はずっと来たわけですね。俺は二人の芸を伝える役者なんだと。
後ろを振り向いた時に「あぁ、片方はダメになるのか」という侘しさを感じたんでしょうね。
で、22歳で中村吉右衛門を襲名するわけですよ。

鬼平犯科帳
白鷗のハマり役。池波先生によれば実父をモデルに書いたのだと。
そりゃ当たるでしょう。で、今度誰にするか。
僕に白羽の矢を立ててくれた。でも四十ってのは若いですよ。
実父の貫禄のある鬼平に失礼だとお断りしたんですけども
まだまだ先生は諦めてくださらず、45の時にまたお話があった。
まだちょっと早いけれどもやらしていただこうと思ってやったら、
まぁおかげさまで・・。
それまで歌舞伎しかやらない人間だと思われていたのが、歌舞伎を知らない人間にも
吉右衛門を知って頂いたというのはありますね。

※丹波哲郎、萬屋錦之介版もあるけど、池波正太郎先生の希望だったのかな。

プーさんが好きだって知った時は笑った。波瀾爆笑 動画参照

四女と菊之助の出会い

全然知らなかった。付き合ってることも知らなかった。
昔々二人を会わせたのが自分だったんですけどね。
うちに行ったら娘がくっついてきたんですよ。
そのあとどうしてるかは全然知らなかったら、急に「いただきます」(笑)
えええぇっ。だだだ大丈夫かなあと。
嫁の支度とか全然させてなくて。
本当にいいのかと何遍も言っちゃったらしいんですよ。後で娘に怒られた。

26歳から45年間演じている「熊谷陣屋」

直実の気持ちをお客さんに届かせたい。
なおかつ自分の考えている直実をお客さんに伝えたい。
時代は源平ですが、
直属の上司のために家族も犠牲にしなきゃいけない状態、
苦しみは今も同じ。

自分でやるほうが疲れない。教える方が疲れる。
いいのは、今の若い人は閉じこもらない。まず自分を出す。
こっちはおかしいから注意するけれども、それが魅力になるかもしれない。
説明しなくちゃいけないのが疲れるんです。

いま心に響く曲
ナット・キング・コール「アンフォゲッタブル」
ほっとする

2015.03.07

サワコの朝 坂東玉三郎 人間国宝 若い歌舞伎俳優に思うこと。

人間国宝というのは
今あることを、後輩に伝えていいですよという使命が与えられるだけ。
なにも、それ以外の、地位が上がるとかそういうことじゃないですね。
(お給料が上がるとか?)・・それはないですね(笑)

歌舞伎座は、中に入られたら
ほとんど昔と変わらないと思います。客席も。
エスカレーターのある歌舞伎座なんて。楽屋にもエレベーターがあって・・

■記憶の中で今もきらめく曲
自分は海が好きなんですね。
夏が終わっていく、っていう時間がすごく好きなんです。
ですから「誰もいない海」とかすごくたくさんあるんですけど
きょうは、井上陽水さんと玉置浩二さんの
「夏の終わりのハーモニー」を。

玉置浩二さんとは知り合いなんですけれども。YouTube動画参照
あの頃のお二人、20代の終わり・・
本当に素晴らしい、あんな曲を書いて作詞をして
これから活躍しようっていう息吹というものが出てくるんですね。
ホントの発声をやる前に、これを歌ったりとか
歳をとると、声ってだんだん落ちてきちゃうんですね。
50歳ぐらいの時に、いちばん楽に出る声が出なくなる。
副鼻腔、声帯を支えている器官の仕事が緩んじゃうんですよ。
それを丁寧に開けていくようにしないと。
厳密に言えば、副鼻腔の中にある天井を持ち上げる筋トレ
、なんです。
肺の収縮、肺の粘膜を広げて酸素をよく摂るようにして縮めるのをやって
まっすぐ息が出るようにして
声帯に斜めに空気が当たらないようにする。
実はそれしかないんです。セリフだけやってるとダメなんで

歌も歌ったり喋ったりしながら。
喉は使わない。不自然な顔をしないんです(笑)

料亭の息子
わがままだった。末っ子。
体弱かったり、歩けなかったりしたから。
右足が麻痺して。実際歩けなかったのは三月(みつき)ぐらいなんですけど
体強くなかったですね。すぐ風邪ひいたりお腹壊したり。
意外とさ、小ちゃいとき弱い子は
大人になって元気ってことあるでしょ?今あんまり病気しないんですよ。
「強くなるためには踊らしとくのがいいだろう」ってなって
音楽好きでした。走り回れませんでしたね・・
芝居があったので大丈夫でした。

佐和子:守田勘弥さんという人のお家に行って。
     料亭のお父様お母様が実の親で、そこから守田家の養子に・・

そうですね。稽古に行ったのが7歳。
その間は弟子なんです。母は踊りの先生でしたから。
母のところで稽古しながら待ってればいいんです。

佐和子:途中で、何か他のことに興味を持つとか

映画。好きだった。国語社会苦手だったんですね。
世界文学全集だとか読めない子だったんです。
読むんじゃなくて映画で観ちゃおうという。
「アンナ・カレーニナ」「カラマーゾフの兄弟」文学作品は全部見に行きました。
お稽古だけだと息が詰まっちゃう。
先生に「どうしてもあの映画見たいんですけど、
来週のお稽古『来た』ことにしていいですか?」「ああいいよ」(笑)

仕草を究める

父は立役でしたから。
一人は相手役として女形ができるようにってことで
お前は女形、もうひとりは立役と決められたんですね。
「あ、よかった」とおもいました。立役には興味がなかった。
女形は存在が綺麗。
手を付くときは、必ず膝より手前のところにつく。
そうすると若く見えるでしょ?細部の組み合わせですので、決め手はないです。
絵や写真を数限りなく観る上での取材ですから。
(浮世絵とかも)観ますけど。全く同じではないけど雰囲気を取るというか
絵描きさんも、人間の形通り描いてはないじゃないですか。
そこ翻訳して、見方を覚えていく。

花魁の着物、一番重いのは40キロ。

2代目中村七之助君も、5代目尾上菊之助君も
(立役と女形)両方やりますからね。純女形は非常に難しい。
今、両方やりすぎるのね。
「兼ねる」は、男がちゃんとできて女をやる。
或いは、女がちゃんとできて男をやる。
どっちもやるんだけどどっちもかたっぽの味がしちゃう。
それは兼ねるんじゃなくて「女男」だよ。
ふたりとも30ですから、やってきちゃったから。
・・当人に任せます。
舞台のこと、芸度のことは当人の志の問題。
他人から言って、なるもんではない。
でも私は、そっと、当人たちには言っております(笑)
そっと何度か言ってるうちに理解しない人には、言わないです。
風のように「片っぽの方がいいんじゃないの?」って。
「父はこう言ってたけど」「そう?」「はい」って。
僕たちの時代って、すれ違いざまに大先輩が「だめだよ」って言って
次に治ってなかったら言ってくれませんよ二度と。
すごい厳しい時代でした。僕は真面目に聞きました。忘れなかったです。
例えば、養父が良くないといった役者の演技を見るでしょ?
「よくないね。兼ねるとは言わないよ」これで終わり。
その言葉の中で理解できなければ、繊細な微妙なことは理解できない。
若いうちから大役付いたからって、その気になっちゃいけないよ。って
朝昼晩言われました。茶碗の置き方も人が見たらどう思うかとか
「お前が先輩だと思いなさい。後輩がいい着物着て歩いてたら
 気持ちがいいかどうか考えなさい」って。
「玉三郎を良くしたかったら褒めないでください。
本当にお前のことをよくしたいと思ってるんだったら、ちゃんと
言ってくれるだろう」

■今、心に響く曲
ミルトン・ナシメント「魔法の町」
追記:たぶんこれ。原題をもとに調べました

海に潜るのが好きなので、自分でビデオ作りたいけど
どんな曲にしようと思って選んだのがこの曲。

「黒豹」というアルバムの4曲目に収録。
※現在は廃盤のよう。

2014.11.23

ボクらの時代 市川染五郎×市川猿之助×藤間勘十郎 歌舞伎の世界は特殊なのか?

猿之助が一番年上だと思ってた。まだ38だった。
(染五郎41歳。3人の中で一番年下は34歳の勘十郎)

猿之助:歌舞伎と日本舞踊の世界って、一般の方なかなか区別がつかない。
勘十郎:振付師ですからね。日本舞踊の。
猿之助:おもに、歌舞伎役者の振りを付ける。
染五郎:猿之助さんとは、学校が一緒なんでね。(暁星高校)
猿之助:3つ下。
染五郎:まだ40なってないんでね。40過ぎて、本厄っていう・・気にします?
猿之助:僕はもう、関係ないです。厄とか超越してて(笑)
     お祓いいっぱいして。いろんな石をつけて(笑)
勘十郎:(染五郎に)色っぽい感じですよね?
染五郎:自分では全然そんなのない・・

■歌舞伎の世界は特殊なのか?
染五郎:特殊といえば特殊。
猿之助:視聴者が「歌舞伎の世界は特殊ですね」って。
     僕は蜷川さんと仕事した時に「たかが演劇だろ?」
染五郎:朝10時とか、10時半に白く塗るじゃないですか。
     毎日白く塗って何してんだろって。
猿之助:思った!!(笑)
染五郎:引退しないっていう。ちょっとそれは独特な世界なのかな。
     先祖が付けてた名前を親が継ぐ。でも引退しない。
     会社だったら、社長から名誉職、会長になったりする。
     自分の名前を親に継がして、まだ現役だから半端なことができない。
猿之助:休みって取ったことあります?
勘十郎:ないです。
猿之助:平気ですか?
勘十郎:結構平気かな。
染五郎:平気です。詰め込んでいきますね。
猿之助:やっぱ25日間興行で、休演日を僕は作りたい。
     でもこれが年取ってくると「休演日が出来ると調子が悪い」とか
     言い出すんじゃないか・・
染五郎:それはありますね。
     確かに、休演日明けはとても怖いですよね。
勘十郎:一回公演二回公演てあるじゃないですか。
染五郎:二回公演というのは、一日の中で「一番」が二つある感じ。
猿之助:博多座であるでしょ?一日二回ね。よくやると思うね。
染五郎:「よくやる」と言ったと思う(爆笑)
猿之助:僕らはサラリーマンの皆様の生活をしたことないけど、
     例えば定時とかないじゃないですか。

染五郎:だって週2日休みがあるんですよ。
     連休、晴れてたりすると腹たったりする(爆笑)

猿之助:逆に、そういう方たちから見ると、僕ら「毎回仕事の内容が違う」とか。
     毎月新鮮だし。予定調和がない。
染五郎:仕事と趣味、そういうのがない。
     「週末ゴルフ」をモチベーションに仕事やることがない。
猿之助:作りますよ。終わったあと
     「この頃本読んでないから、買った本を寝る前読むのが楽しい」
     あとは終わった時のお風呂とか。それぐらいしか楽しみがない。
染五郎:でも旅行行ったりするでしょ?フットワーク軽い。
      旅行は一大イベントなんで。来週とか来月行くとか無理。
      巡業とか、どれぐらい荷物あります?大阪ひと月とか
猿之助:スーツケース1個。
染五郎:僕、スーツケース2個とダンボール2箱・・(笑)
     (本やビデオ)
勘十郎:どこ?どこへ?
猿之助:だって(染五郎は)外でない人だから。だいたいルームサービスだよね。
染五郎:ちょっと前はホテルでハンバーグを頼むっていう・・
     目標がね、ハンバーグとライス。電話するでしょ?
     「ハンバーグですね」って言われるのを目標に。毎日言うんだけど
     こないだ、ソースは和風と、なんかあるんですよ。
     「和風ですね?」って言われました(爆笑)
。 箱、開けてないです
猿之助:じゃ、要らないじゃない。

■高校時代
※勘十郎は堀越高校出身。
猿之助:役者の人たちが通ってたから、働くことに理解が
染五郎:ありましたね。
勘十郎:芸能コースだったんで、みんな
猿之助:学生の頃もう少し勉強してりゃよかった。
勘十郎:思う思う。
染五郎:計画をずっと立ててた。中間試験の4週間前から。
     緑の蛍光ペンで時間割。青になって黄色になって1週間前は赤。
     計画を立てるのが好きなんです。実行する、しないじゃない。
猿之助:線引いただけで勉強した気になっちゃう。いざ舞台に立つと忘れる。
猿之助:宗家の芝居小僧だったでしょ?
勘十郎:お芝居の道具作ったりしましたけどね。ダンボールで。絶対やりますよね。
     船作ったり館作ったり。
■妄想歌舞伎
勘十郎:(染五郎に)得意です。
染五郎:「歌舞伎・オン・アイス」ディズニーであるじゃないですか。
     キャラクターに関しては歌舞伎が勝ってる。
     それがスケート履いて踊るわけですから、六方なんて世界最速ですよ。
猿之助:回っちゃう。ただし止まって演技ができない。
■もしも転職するなら
勘十郎:つぶしきくんですかね?この職業。
染五郎:何になる?
猿之助:新興宗教!!(爆笑)
     このごろ許可取るの厳しくなったでしょ。宗教法人。
     昔は簡単に取れた。かくれみので。経典とか全部調べられるらしいの。
染五郎:ちっちゃいときは、野球選手と歌舞伎役者を両立しようと思ってた。
     野球選手はどっちにしたって半年。子役は年に2ヶ月。
     全員そうだと思ってたんですよ。
     歌舞伎役者は2ヶ月しか出ないならイケる、と。
勘十郎:料理人かな・・大好きなの。お料理するの。

■子供の話
染五郎:(生まれたのが)「男の子でよかったね」って言われてびっくりしましたよ
     女の子じゃダメなのかって。まず誕生したことが・・
猿之助:間の子が生まれたらどうしちゃうんだ(笑)
染五郎:そういう風に思われてる世界なんだって実感しましたね。
勘十郎:ウチも言われました。完全に女だと思ってた。
     女の子の名前しか考えてなかった。母から教わってるんで
     祖母の作品がいっぱいあるわけですよ。それが一切できない。
     だからそれを残すために、なんとか女の子がいれば
     逆に男の子だから僕の作ったものができる。
染五郎:好きでやってるものの欠点、弱いところは
     押し付けられない。好きになってもらいたいという思いはあるけど
     こればっかりは。魅力があってやりたいと思うことをやらなければと。
勘十郎:子供が出来てから、踊る回数増やしましたね。
猿之助:3人欲しいね。1人ぐらい新興宗教・・(笑)

※猿之助が「よく、気持ちが入らないとできない」って人いるけど
  役者は職人だから、注文が入ったらやるんだ
  そういう意味で僕らは芸術家じゃないって言ってた。 
  必ず朝8時に起きるそうな。おつとめあるからw
  歌舞伎って信仰に近いな、とも。
  

 
     







     

2014.07.26

サワコの朝 片岡愛之助 10年間休みなし

巨人の澤村を優しくした感じの顔・・きれいな澤村。
似てると思うけどなぁ  soKKuri 参照

5歳で子役デビュー、9歳で歌舞伎へ

●記憶の中できらめく曲
B'z Bad Communication



18か19ぐらいの時ですかね。こればっか聴いてました。
南海電鉄。大阪の堺なんで。乗って帰るんです。
中村橋之助さん、先輩が「愛ちゃんの大好きな人に替わるね」
「もしもし」・・おじさんの声なんですよ
大好きなおじさんて誰だろうと思ってかわると、
松本(孝弘)さんなんですよ。「B'zの松本です」
「えぇ 僕大ファンなんですよ」で仲良くさしていただいて
今も家族で見に来てくれたり。
・きっかけ
実家が船のスクリューを作ってる工場なんです。
ほんとにこの壁一面よりもっと大きな。
工場と家が同じ敷地内なんで、危ないから外へ出るなと。
家の中で遊びなさいといわれてて。
実家の親がかわいそうだと思ったんでしょうね。
新聞をたまたま読んでおりましたら松竹芸能の子役募集が
ございまして。子供同士のふれあいの場で行ってきたらどうかって。
オーディションでたまたま受かって。
その中で歌舞伎のお仕事いただきまして。
歌舞伎の中の子役は、誰しもが誰々の息子さん、ご子息ではなくて。
そんなたくさんいらっしゃいませんからね。
普通に子役の養成所の人とかたくさん出てますよ。
大人の言葉を使うと「カルチャーショック」ですね。
まず顔を真っ白に塗るところが面白く。
どぉしてこの人こんな真っ白に塗ってんのやろ、てのがひとつ。
あとは女形。「このオジサンこんなに綺麗になっちゃうんだ」(笑)
役者が宙吊りになって飛んでったりするのを見たら
ホントにテーマパークに来たような感じで。
だから僕は出会った頃から歌舞伎が好きでした。
歌舞伎って公演の期間中はひと月休みがないじゃないですか。
子役も休む間がなくて勉強のほうが大変だと
そろそろ公演中に松竹さんの方に辞めさしていただきますと
中学校2年生3年生ぐらいですかね
辞める事が決まって。その時片岡秀太郎さんが
「ボク、お芝居は好きか?」と聞いたんです。
僕はすごく好きだったので・・勉強得意じゃないのも若干あったんで
「お芝居やりたい」と言ったら「よしっわかった」と言ってくれて。
それにあたって名前が必要だから「千代丸」
すごくありがたかった。秀太郎の一言がなかったら
僕は役者をやってませんでした。
子供の時からそういう世界だとわかっていた。
どうしてなんだと考えたことはなかった。
周りの先輩に恵まれてた。いびられたりいじめられたことはなかった。
千代丸で高校卒業しまして。「すごくいい名前だから継ぎなさい」が
「片岡愛之助」だった。その時に養子にこないかと。
家で両親の前でどうしたらいいかと言ったらものの2,3分で
「よしっ行ってきなさい」即決で。もうちょっと考えるでしょ(笑)
よくよく考えたら親父は好きで会社を継いだわけじゃなかったんで
僕には好きなことをさせたかったみたいですね。
親の決断力はすごいな、ありがたいなって思いましたね。
「半沢直樹」いきさつは
おしかけスピリチュアル 記事参照

秀太郎は「嫌いやから見ない」って言ってました。
海老蔵さんはいいお父さんですね。終わるとすぐ帰る。
一緒にご飯食べに行ったの1回ぐらい。僕らからしたら寂しいけど。
賞取った時におめでとうと言ってくれるのは海老蔵さんだけですね。
●今心に響く曲
TUBE「あー夏休み」
海に行きたいとか思うんですけどね


2014.05.04

ボクらの時代 尾上松也×中村七之助×三宅右矩(抜粋)

3人は堀越高校芸能コース出身
・中村七之助・三宅右矩の同級生に松本潤。
・ひとつ下、尾上松也の同級生に生田斗真。

尾上:それ(高校)以前から舞台見に来てくれて。
尾上:お互い父親同士が仲良くて、同い年ぐらいの子が近くにいれば
    親って「みんな友達」だと思う。だから
    「ほら、お友達がいる」二人にさせられたけど気まずくて
三宅:なんなのこいつ的な、ね。
尾上: 以来全く会ってなくて、また高校で。
三宅:まだ可愛かったから「あっそうすか」な感じ。
中村:学校の先輩で、歌舞伎界の先輩じゃない。
    「波野君」「はいっ」今となっちゃ「おい」
尾上:毎回それ言って最近イライラしてくんだけど
    アンタたちが、あ、あなた言ってない。あんたが言ったんだからね。
    「敬語を使うな、使ったら怒るぞ」てね。
    言われたんで仕方なく私はこうしてる。リスペクトしてるみなさん。
三宅:それが嘘くさい。
尾上:演劇とスポーツを両立させたかった。
中村:いや、(尾上は)野球選手になるって言って。
    昼歌舞伎やって、夜ナイターでプロ野球選手。
尾上:歌舞伎俳優は野球好きが多いから、パイオニアになろうとした。
中村:今もドラフト会議の時ケータイで網羅して
尾上:俺だけかと思ったらみんなそうなの。
    WBCの選考会の時もケータイ意識して。馬鹿なんだけど。
三宅:わかるよ。俺サッカー好きなんだけどひとりひとり
    「ジーコ」とか読み上げるときに「あ、次俺」・・
中村:来ねぇよ絶対(笑)
三宅:高校時代そんなんじゃなかったよね。
中村:いじられキャラでモテてたよね。
尾上:間違いなくモテてた。
中村:女性にめっちゃ喋ってた。
尾上:高校の時全然でしたよ。だって第一印象大事だからカッコつけて。
    斗真が「ちょっ変顔してよ」今ならやれるけど当時は
    「ごめんなさい僕そういうのは」本性はやりたいけど事務所的に。
中村:男子校だったので女性との会話とかしたことなくて
    高校行って学食で「ラーメンちょうだい」って言った時
    俺の箸でその子が食べたの。マジかと思って。
    向こうが大人なの。
尾上:芸能関係の女の子だから男性にも慣れてるし
    おはようの挨拶も(タッチしてくる)。
    俺のこと好きなんかなって。

三宅:常に二人で(尾上と)いる時期が長かったから
    先に彼女ができると「なんで俺に言わないんだ」
尾上:(三宅を)その子が好きなの知ってて、その子に会ったりすると
    「お前には恋愛ゲームかもしれねぇけどその子は本気なんだよ」
    電話かかってきて。
    お恥ずかしい話なんですけど
    ワタシ20歳の時父ちゃんが亡くなったじゃない。
    (父松助59歳)その当時は
    あなたたちがいてくれてめちゃくちゃ助かった。
    全くいつもどおりに遊んでくれた。
中村:俺の時も同級生が全部やってくれたじゃない。
    俺京都で芝居して新幹線乗って
    父親が死んで混乱してる時にいてくれたのは助かったと思うね。
    それで安心して京都に帰れる。
尾上:お母ちゃんと妹はすごい悲しんでるのに
    こっちまでううう・・ってなれない。なりたくても。
    毅然としてなきゃいけない中ホッとできる人達がいてよかった

稽古で勘三郎が七之助に怒ったとき、尾上が思わずビビった話も。
「人の5倍6倍やれ」勘三郎は息子にそう言った。
尾上:今になって父親がやりたかった役とかをやると
    「ああ今生きていて欲しかったなぁ」と思う。

一昨年狂言自主公演「挑む~外伝~」で三宅と尾上は共演
稽古で尾上が遅刻。
三宅:「松也遅れるみたいです」って言われて
    ずいぶん先にある演目をやらされ
    めちゃくちゃ怒られてる最中にばぁっと入ってきた。

尾上;(三宅の父・右近の話)銀座で飲んでて
    小島よしおの「そんなの関係ねえ」流行ってる時
    お父さんが(そんなの関係ねえの振りで)
    「ばかいってんじゃないよっ」
三宅:なんかニュアンスで覚えちゃうから
    綾小路きみまろを「武者小路実篤」って言っちゃったり(爆笑)
    「よく出てるよねぇ武者小路実篤」ww

3人でミュージカル「レント」見に行って全員号泣。
歌舞伎との共通項がある、と松也。
七之助は松竹サイドの理由でミュージカルが長年できなかった。
長年の夢が叶った時に泣いた。

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サワコの朝 市川亀治郎 元カメ 2012.6
    
   
    


2013.07.20

サワコの朝 岩下尚史(ひさふみ)

硬いイメージもあるけど、なんかよくわからない方。
時々テレビで拝見して「なんだろう、この変な人」w
緊張してる感じはない。

緊張は致しませんけれども
皆さんに愛されたいもんですから
スタッフさんの顔色とかも見ながらしゃべる癖があります。好感度。



●芸能とは
歌舞伎、お花、お茶、日本舞踊、和歌・・・
古典芸能をさすことが多いですね。
なぜ別枠で伝統芸能をさすか。
私たちの暮らしからどんどん遠くなってるからじゃないでしょうか。
あたしの子供のころはもっと遠いものだった。大概の人は無関心。
テレビでやってても5分ぐらいで消す。
能楽場行ってもほとんどお弟子さんだから。稽古やってない人は見なかった。
10年ぐらいかなあ、知識として見に行こうという人が増えた。
あたしそんなに人気ないですよ。
講演とか行っても
「ご自分のうちの鏡餅をどういう風に飾るかご存知ですか?」と
聞くようにしてます。
阿川弘之先生のお宅は?
・・・2段、葉ミカン、こんなひらひらがついてて・・・
ほら、伺っていくとだんだんそういうふうに
阿川家のお飾りはそういうものだと繋がっていく。
つまり、それがいわゆる伝統文化のもとだと思う。
自分のうちの鏡餅の飾り方もわからないで、能だ歌舞伎だ伝統芸能だと
いくら詳しくなっても、あたくしはそれはちょっとしょうがないんじゃないかと・・
ほんとうは、自分で帯も絞められないお茶も点てられないんじゃ
歌舞伎芝居も、本来は味わうことが遠いけど、関係性が水くさくなってます。
なんか知識や誰かが言った解説を通して物事を見ることが多くなってる。
もっと自分で触ったり嗅いだり食べたりなめたりして触れて味わい尽くさないと
演じてる人も甲斐がないし、こちら側の喜びが少ないような気がします。


習ったものを見せるチャンスがないんです(阿川佐和子)
そうおっしゃる方多いんですが、もともとああいうものは
なんのためにするもんじゃあない。
所作の前に出てお辞儀して、お稽古してもらって
ありがとうございましたと帰る。その時間が大事。
それを誰かに見せようと言うのは・・教わり楽しむ。
お師匠さんも、成長の具合が人間として高まっていくところを見るので
ただ技術的につながっていくわけじゃない。
自分の心持ちが安らぎを持てる、そういう喜びだったんじゃないでしょうか。

・・・ここまで約8分。
あんまし中身のない番宣だとすぐ曲紹介なんだが、作家さんだと話が濃い。

●記憶の中できらめく曲(7時39分)
弘田三枝子「夢見るシャンソン人形」参照

3つ4つのころから、テレビつけると聞こえてきてました。
チョコレート、お薬とかのCMソングのほとんどは弘田三枝子さん。
意識することなく体の中に入って来てた。
※たくさんの人が歌ってる。
原曲フランス・ギャル 参照
他にも中尾ミエ、麻丘めぐみ、島谷ひとみ・・

ひとり息子なんですよ。親泣かせだと思います。
だってその頃男のくせに(六代目)中村歌右衛門に魅入られて
歌舞伎芝居を見に行く。
自然に劇場に行くようになってた。歌舞伎じゃなく歌右衛門見たいから行くとか
初代水谷八重子さんが好きだから行くとか
語り合う人はだぁれもいない。知識欲で行くわけじゃない。
歌右衛門さんの人格が好き。芸はしぐさ、セリフ回しという人もいるが
つまるところ芸というのは人格、生き方があらわれる。
年端のいかない子供にも心に響くものがあったと今でも思う。


ごっ52歳!!
うちの旦那と同世代か。もっと年食ってるかと思った。
かつては新橋演舞場に勤務。
歌踊りお芝居の発表場。社長の代わりにお土産持って観に行く。
次の日報告に行くと
「ところで君、武原はんさんの襟の色はどうだった?」と聞かれる。
ワタシそんなもん見てなかった頃ですから、わかんなかったって顔すると
もういいって顔する。
だからご本人にお電話したりすると、当時の俳優さんたちは答えてくれた。
実際の演者の声が聞けた。
幅があるんだと言うことも身にしみてありがたかった。

日本の男たちの心もちが変わった。
本来は料亭、お茶屋に行くと
「やだな」と思う奴いるじゃないですか。どんな業界でも
「コイツ死んでくれりゃいいのに」ってやつ。
そういうやつこそ呼んでもてなして友好関係を作るのが
昔の旦那たちだった。
表向きは和やかだけど。
だから芸者衆を呼ぶんですね。
男ってしょうがないですよね。かんしゃくもちだし酒が入るとつかみ合いになる。
そうならないように利口な芸者衆を呼ぶ。
ケンカしないようにいい関係になるように計らう。
男として「招いた客が喜んでかえる」のも昔の日本の男の喜びだった。

今は割り勘とか「何のメリットがあるの?」とか
なってみなけりゃわかんないようなことを聞く。
昔のような男たちが少なくなった。
30歳ぐらいの時よく聞いた言葉に
「こんなことしてるの日本だけだから」
でも外国でも宴の文化はあるんですよ。
花柳界が衰退していくのは時の流れで仕方がないかもしれないが
新しい社交の場をおつくりにならないと、負けちゃうような気がする。

スパイラル芸能の宴

●今、元気を与えてくれる曲
レミオロメン「南風」
幸せな気分になれる曲。
芸者もいろいろありますから・・・気まずいのもいますから・・・

2013.02.16

サワコの朝 中村勘九郎

お父さんは、ずーっと一緒にいたい人。

まだ(死を)受け入れられない。な~に死んでんだよって感じ。

●記憶の中でいつもきらめく曲
ドラゴン・アッシュ「Under Age's Song」

降谷サンは2個上の先輩。中等部のそうそうたるメンバーは怖かった。
(海老蔵たち)カラオケを途中で消されるぐらいオンチだけど歌う。
学生時代、本名に戻れる歌。
友人の結婚式の2次会でも歌った。
親父は一生ついて回るけど、おかげですから。
この番組に出させていただいて、とかあるので
感謝の気持ちは一生持ち続けるのかなっていうのはありますね。

襲名後まもなく父が病気に

天日坊の稽古初日に癌だと知らされた。
冗談だと思った。
まじ、か、と。ショックだった。
父もボクも臆病。注射嫌いだし。看護師さんに羽交い絞めされたり
ボクもベッドで失神するぐらい嫌い。
臆病な人なのに癌なのか、怖いだろうなと思った。
家族の支え、浪野家は最強だと思っているからがんばろうって。
母は誰より父の女。父の初恋の女だし。
本当に治ると思っていたけど、人工呼吸器で声も出せない。
闘ってましたね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
礼儀作法、あいさつに厳しく
父に対して敬語だったので友人に変に思われていた。

歌舞伎やめたいと思ったことはないけど、向いてないと思ったことはある。
みんなで作り上げる中に入っていって思うように出来ない時とか
もちろん父にはかなわないですよ。
父は努力の人なんです。
一分一秒(惜しまず)仕事のことを考えている。
怠けている姿を見たことがない。
闘病中にソファーでボーっとテレビを見ていたときが一番つらかったはず。

まだ、これからどうしようと思っているところ。
亡くなった日、どこかに逃避した自分がいる。
精神が崩壊した自分がいるから今こうしてしゃべれるんだし。
それぐらいボクは父の人でした。
父にほめられたい気持ちでやってましたからねぇ。
前に父に教わり、注意されたことに(忠実に)
●赤坂大歌舞伎(勘三郎の当たり役)に挑戦。
ショーになっちゃいけない。
ちゃんとストーリーをやらなくちゃ。
早替わりはお菓子のおまけみたいなもの。
お菓子を捨てちゃいけないよ、と教えられた。

●今心に響く曲
ファンキーモンキーベイビーズ「さよならじゃない」
紅白の審査員やってて彼らを見たとき感動した。
解散なんてあの時知ってたら審査員なんて出来なかった。

気丈だね。
もちろん見えないところでもいっぱい泣いてるんだろうけど。
何が起こるかわからない
大切に生きないと。



2012.12.05

中村勘三郎死去。

7月27日、患った食道がんの手術をしていただきました。

12時間に及ぶ大手術となりましたが、手術は成功し、その後、

肺炎による呼吸不全が進行する事態になりました。

呼吸不全は思いのほか重症であり、専門的な病院へ二度転院しました。

来年4月の歌舞伎座杮落としに出演することを心のよりどころとし

癌晴ってまいりました。

けれどもついに、回復することはできず、無念のうちに

本日12月5日午前2時33分急性呼吸窮迫症候群で永眠いたしました。

中村勘三郎をごひいきいただいたことに感謝いたします。(FAX 抜粋)

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昭和30年生まれだもんなぁ

早いよなぁ

昨年の明石家サンタのときはこんなんなると思わなかった。

大河ドラマだと「元禄太平記」「元禄繚乱」

映画は藤山直美との「顔」

紅白歌合戦でも見たことがあったっけ。

歌舞伎以外だと時代物のイメージが強いけど、「顔」は違った。




Charとの共演が懐かしい↓


歌舞伎に興味をもつきっかけになったのは、玉三郎さんとこの方。

とにかく朝一番に聞いてびっくりした。

若いよなぁ・・・

フジがいちばん時間をとっていた。

膨大なフィルムの中から追悼番組を作るのだろう。

文藝春秋6月号は、オークションだと大変なことになりそうなので

図書館で探して見ようと思う。

ARDSの薬物療法は現代にいたるまで知られていないとのこと。

人工呼吸器をつけての治療方法がある。



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