ファミリーヒストリー

2017.01.12

ファミリーヒストリー 宮本和知 祖父は漁師 佐賀県唐津市名護屋

■片岡福太夫
母方の曽祖父 漁師(鯨漁)一頭で七浦潤うと言われた時代。
羽刺(はざし)屈強な漁師の花形。大名と同じように優遇された。
10キロのモリを遠くに投げて正確に命中させなければいけない。
川尻捕鯨。

4代前の高祖父は福蔵。

宮本:投手には棒を投げるトレーニングがある。
今田:ホエールズに割と勝っている?
宮本:結構勝たせてもらってますね

■祖母フク
女相撲の横綱。昭和19年、夫重太郎と死別。

■明智

三男。和知の父。昭和8年生まれ。
※10年前に亡くなってたとは知らなんだ

李承晩ライン - Wikipedia 李承晩ライン - Wikipedia

20才の頃、漁師を諦め、三井金属彦島製錬所に臨時工として採用。(昭和28年)
最も過酷な現場。

■同僚の話、他
三井金属って言うからさ、どんないいとこかと思ったら、高熱作業。
亜鉛製造で1200℃の中8時間働いた。
塩をガバっと飲んで水を飲んで。作業着が真っ白。
誰か一人休むと3交代が2交代になる。そんなの率先してやる。
作業道具も自ら作るほど。
辞めていく人は多かったが、仕事ぶりが認められ正社員に。

昭和35年結婚。和知は次男。
亜鉛製造はコストの削減を求められ、データをメモし、上司に報告。
残渣を効率的に処理できる方法を見つけ表彰される。
44歳で作業副長に推薦されるが、高学歴でないために迷った末引き受ける。
高等小学校からどれだけ努力したか
昭和63年、55歳で退職。
「イカ漁をしたい、もともと漁師やったんや」36年ぶりに海へ。

平成19年、74歳で死去。

■宮本和知
昭和59年ドラフト 巨人
※1位上田和明(2017年現在査定室長)、2位藤岡寛生(2016.10月より照願寺住職)

1位指名ではなかったため入団をためらったが
父から「何を迷っている」と言われ決断。
※階段からずっ転んで落ちて骨折し、入団会見欠席したんじゃなかったっけ?
母校の野球部が映ったな。
平成9年引退。
「人に好かれるようなお仕事をせにゃの」と父に言われた。
へなちょこサダ登場(定岡)
「ハイハイハイ」って。ああいうとこは見習わな。だって。
番組オープニングでちょっとズムサタの熱ケツ情報出たよね

宮本和知 引退試合 97.9 動画

 

2016.09.08

ファミリーヒストリー 財津和夫 財津一郎との関係

伯父さんは緒方ですし、なぜ名乗るようになったかは知らないんですよ。
■祖父・緒方民平さん
慶応三年、熊本藩士の家に生まれた。
有禄士族基本帳に父の名が。士族としては最低ランク。
生活は楽ではなかった。西南戦争で緒方家は消失。
孫の典子さんによれば
民平さんは学校に通えず窓の外から授業を聞いていた。
その時学校へ来るよう勧めてくれたのが教師の「財津永枝」さんだった。
財津姓が途絶えてしまうため、國平さんに名乗らせる決断をした。
財津家の先祖はキリシタン大名・大友宗麟。
肥後藩士の財津家は相撲の神様と言われた永量。(ながすえ)
天覧相撲で無敗。藤崎八幡宮に祀られている。
家系図をたどると和夫さんも記載されてるし、財津一郎さんともつながる
財津一郎さんの本名は「財津永榮(ながひで)」※誤字訂正しました

家系図を所有していた方の旧姓はもちろん「財津」
そうとは知らずに若い頃中野サンプラザでのコンサートに通いつめたそう。

タケモトピアノ【CM】

「ずっと財津一郎さんのファンだったんですよ」

32歳で熊本県の役人に採用される
国家に対して最重要であることに思い至り、農業雑誌を愛読。
地元でも有数な農場経営者に。

民平さんは永枝さんが亡くなるまで連絡をとり続けた
■父・國平さん
次男。農場後継として農業学校へ進学。
緒方から財津姓を名乗るよう民平さんに告げられる。
山村サイさんと結婚。
長男は6歳で病死。次男は4歳で赤痢で死去。
戦後、福岡市へ引き揚げ。
開拓農場の仕事をするように。
昭和23年、和夫さん誕生。

チューリップの初代ディレクター、新田さん登場
「気迫とか背後にある強さ、本当、侍のような強さだった。」

親父の苦労話というのはちょっときますね
僕が知ってるオヤジは飲んだくれだったんですね。
頑張ったんだなというのはよくわかった
親父とお袋がよく頑張ったという感じですね

■関連記事
夕陽を追いかけて・TULIPと歩んだ40年 2013
ミュージックポートレイト 財津和夫×華丸大吉 2013
A-studio 財津和夫 2009

2015.08.29

ファミリーヒストリー つるの剛士 名字「靍」の謎

芸名「つるの」を平仮名にした理由
本名は「靍野」
「靍」雨冠に鶴だが、点々ではなく横一本線。
読みが難しいので平仮名表記
もともと川の流れの「ツル」という地名から来ている
「つる」とは水の流れる音。
川の近くの肥沃の流れを「つる」という。
九州各地には「つる」がつく地名が約50箇所。
意味としては鳥の鶴と同じ。国字。(峠や鰯も国字)
「ちょっと見栄張ったんですかねぇ。鶴という字をかっこよくさせようと」

母方・賀来家のルーツは大分
大友宗麟の家臣~農業などをし地域に馴染むように
賀来惟氏(これうじ)が母方に一番近いルーツ
武士・賀来是安

祖父・進登は四男
明治44年生まれ。

20歳で親戚が上海で働いていることを知り、昭和6年、海を渡る。

徴兵検査の記録をもとに文路地区へ行くと、家屋が当時のままあり
今もなお人が住んでいる。
進登は直栄商会で靴を作っていた。

満州事変。排日運動が広まり、門司に帰国。池亀酒店に勤務。
昭和18年、いとこ同士の結婚。日本セメント門司工場で働くように。

■昭和26年、貞雄(剛士の父)誕生
昭和28年6月28日、豪雨。日本セメント社員寮に避難。
風師山が崩れ土石流。長男を背負って2階から飛び降り工場に逃げる。
死者行方不明者143名。家族は間一髪無事。仮設住宅で暮らすように。
1年後会社の社宅に移り住む。
長男はイラストレーターの靍野久男。
昭和60年のつくば科学万博メインマップなどを手がけた。
貞雄は高2の時、教師に勧められ女生徒とクラシックギターで共演。。
それが一学年上だった賀来令子。卒業後再会。昭和49年結婚。
翌年剛士誕生。
門司から埼玉・川口支店に転勤し営業担当。
その後も広島~大阪~東京、転勤を重ねる。

世のため人のためになれと言い、勉強しろとは言わなかった。
芸能界入りも賛成だった。平成22年11月22日、59歳で亡くなる。
・・・ん?「羞恥心」もう7年も前なんだ。もう40歳か(2015年現在)

最後の職場、同僚からのビデオレターは泣けたな。

メモに書かれた言葉が
「当たり前のことができないのが人間である
だから努力するのです
世のため人のためとなれ」

2015.05.16

【まとめ】ファミリーヒストリー 黒木瞳 福岡県八女市黒木町 樋口越前守実長 

野山を駆け巡り、勉強など全然しなかった。
「だからすごくタフな体を作ってもらったと思ってます」

4人きょうだいの末っ子。本名は昭子(しょうこ)
父・義仁は31歳の若さで亡くなっている。
祖父は父が1歳の時に亡くなり、その後祖母が再婚している。

父母の生前にもっと聞きたいことがあった。

■樋口越前守実長(ひぐちえちぜんのかみさねなが)とは。
樋口実長。
豊臣秀吉による九州平定(天正15年・1587)の際
代官の一人に選ばれた人物。
それまで治めていた星野氏は追放される。
黒木瞳の高祖父は、末裔の樋口彦平。
庄屋を任されるほど裕福だった。

■転機
曽祖父・亀太郎の兄、松次郎が金山の採掘に乗り出す。(星野金山)
多くの資産を投じたものの掘り当てられず、生活は困窮。一家離散。
松次郎は北海道へ。「畑も作ってあるから、おいで」
亀太郎は大正7年、福岡県西新町へ。
長男・俊吾はお茶の専門店を始める。
質の高さにグラバーが目をつけ海外輸出、
夏目漱石や正岡子規にも好まれ、経営は順調。
俊吾とミネ(黒木瞳の祖母)、大正10年に結婚。
3年後長女、5年後長男義仁(←黒木瞳の父)誕生。
ミネ27歳の時、長女と俊吾は腸チフスで亡くなる。

3歳で亡くなった娘の名前は「瞳」
黒木瞳の兄「何か縁があるんでしょうね、不思議ですね」

ミネは黒木町へ戻り、食堂で働く。

・ミネ、江上成見と知り合う
ミネの9歳年下。博労(ばくろう)。
一緒に暮らすようになったが、当時10歳の義仁は受け入れなかった。
息子の気持ちを考え、未入籍。
・義仁さん
昭和15年、義仁は八女工業学校へ。人気者となるが
同名の同級生「樋口義人」さんのもとへ間違ってラブレターが届く事態に。
福岡の工兵隊に召集されるが、戦地に行くことなく終戦を迎える。
地元の建設会社で働きはじめる。
昭和21年、武道廃止。剣道の防具没収。
農協に勤める武子さん(黒木瞳の母)と知り合うが結婚を反対される。
当時田舎の方では、父のいない家庭は敬遠される傾向にあった。
成見が頭を下げ、昭和26年結婚。

成見と義仁さんは一緒に博労をはじめる。

昭和27年、剣道解禁。黒木剣友会結成。

昭和35年、昭子(黒木瞳)誕生。
このころ博労の仕事にも陰りが見え始める。
武子さんは食堂に勤めるように。
お客さんの一人から宝塚歌劇団のチケットをもらい
家族で観に行く。ラインダンスを見た昭子は宝塚に憧れるが
宝塚への進路を父に反対される。
昭和54年地元の音大に合格するも、
内緒で宝塚音楽学校を受験し合格。父は「好きにしなさい」と折れる。

「ひるのプレゼント」映像は貴重。文枝師匠が司会だった。
剣道をする姿は初めて見た。
昭和60年、テレビで父娘共演。

「父のプラン通りからは外れてしまったけど
結果として親孝行ができてよかった」

3年前の九州北部豪雨。黒木町の人たちも避難生活を送った。

道路看板に標語が
「黒木です ひとみが見てます そのマナー」

ミネさんはデビュー前に亡くなった。
義仁さんは平成15年、77歳で
武子さんは平成19年に亡くなる。

【別館にもございます】

ファミリーヒストリー 間寛平 2015.5
坂上忍 2015.4
伊達みきお 2015.3
くるり 岸田繁 2015.1

書いてないが、印象深かったのは梅辰。梅宮辰夫。そして石田純一。
今回、黒木瞳へのライトの当て方がいつもと違ってた。
女優ライト」ってやつかな。
来週は星野仙一。さて、どっちのブログに書こうかな。

2013.11.18

【メモ】nhkファミリーヒストリー 桂文枝


私が生後11か月の時に父が亡くなった。それだけしか聞いていません。
どこでどう生まれたのかわかりません。

母は父の死後、父方のほうを出ましてね。
その後一切行き来がなかったものですから。

大正10年生まれの母が、今記憶がまだらで分からなくなっているような状態。

戦後、母は息子に父のことを話したがらなかった。
師匠の手元には葬儀の際の写真1枚だけ。

●父方のルーツ
戦国時代から岐阜県本巣市に暮らしてきた河村家。
善永寺には
1570年、11代前の祖先・五良作が石山合戦の時にもらった
褒美の鐘がある。(石山合戦:信長と本願寺の戦い)
明治7年、文枝の祖父静衛誕生。
←※文枝の本名「静也」は一字いただいて命名された。
祖父の遺品には金鵄(きんし)勲章が。日露戦争で陸軍に召集され

奉天会戦へ。本隊より先に相手のテリトリーに入り情報を仕入れる役目。
金鵄勲章の年金は当時の金で100円。公務員の給料2カ月分を
生涯にわたり支給された。やがて薬の卸問屋を開く。
●大正5年、文枝の父清三誕生。
清三は大阪大倉商業学校へ進学。
成績が悪い者は放校、転校させられる。入学時2クラス→1クラス。
父は優秀な成績。卒業後野村銀行天六支店へ。
(←現在の野村証券は、証券部が独立してできた会社)

落語や漫才が好きで、職場で披露していた。

「ものすごい優しい人。会ったことがないほど。
神戸屋のパフェとか食べさしてくれた。優しさが顔に現れてましたな」

●昭和16年、25歳で縁談。
母が家柄の違いから一旦縁談を断るも、直接会えば気に入るはずと会わせる。
治子(17歳)両親を亡くし叔父の家に引き取られるがわがままを言わず。
結婚が決まる。清三は酒が飲めなかったので甘味屋でデートした。
善哉が好きだった。
清三25歳、治子20歳で結婚。
清三は20歳のころ徴兵検査を受けているが、視力が極端に弱かったので
免れている。
●昭和18年7月16日、静也(文枝)誕生
※築80年の長屋が戦災を免れ、今も残っていることに驚いた。八畳二間。
戦争が激しくなったため、病弱な者や年輩者も戦地へ。
清三の病名は肺浸濡(軽度の肺結核)。
半年後快方に向かったのもつかの間、召集令状が。
「行ってくるよ」
・熊本市には従兄の妻が暮らす。玄関前での出征時の写真を保管。
めいの清子さんはこの場に居合わせている。

ただ一つの一枚の写真なんですね。
父の心中・・なんか苦笑いしているように見えますけど。残酷なもんですな。

●大阪陸軍歩兵第92連隊に配属(昭和19年3月急きょ編成)
真田山で過酷な訓練。
入隊1カ月後に重い結核で倒れ、大阪陸軍病院に入院。
(現在の大手前病院)容体は日に日に悪化。
「ぜんざいが食べたいんだ」

わがままを言うような人ではないが、この病院で死ぬのではないかと。
(家族で)必死に探してきて、お砂糖と都合してぜんざい炊いて。
水筒に入れて、持ち込んだ。
「おいしかったよ、ありがとう」
入院から2カ月後、27歳で亡くなる。

清三の母「あなたはまだ若い。別の人生がまだある。静也はうちで育てます」
翌日黙って家を出た。

・・言葉のあや、というか。「子どもをとられる」と思ったんかも。
大正区で賄いの仕事を見つけたが、
火事の延焼で思い出のすべてが燃える。
小学生の静也を兄に預け、別の仕事に就く。
週に1度しか母と息子は会えなかった。
●昭和37年・文枝、関西大学商学部へ進学。
建設現場の食堂で働いて工面した学費。
落語家の夢をいったんは猛反対した母。
昭和42年デビュー。

昭和55年、治子は一人で善永寺を訪ねる。
「息子は一人前になったから、先祖のお墓に報告したい」
だが夫の墓はなかったため建立。
「先祖より大きいものは建てないで」

天皇陛下にお会いしても失礼のないように
母が言った言葉は平成19年の園遊会で現実に。


真田山の陸軍墓地の納骨堂。身元調査は3年前に始まったが
思いがけず父の遺骨が見つかった。


僕の体の中にちゃんと父が生きてるような気がします
これから共に生きていく。



※11月15日放送分。次の放送は12月6日の真矢みきまでないらしいし、
再放送まで日にちがあるので記録として書き残す。



2013.02.18

ファミリーヒストリー 平岳大

カナダへ渡った曾祖父・池田福吉が体験した差別。
福吉は明治15年広島生まれ。
17歳の頃、ハワイへの出稼ぎ。ラハイナ。
10時間以上サトウキビを刈る労働。
25歳の時カナダ・バンクーバーへ移住。
当時のパウエルはリトルトーキョーのような状態。
肉屋と雑貨屋を営んでいたが、日系人は差別の憂き目に遭う。

日系人対象の下宿屋を営む。
90年後の現在も建物は現存。
当時は製材所を営む日本人労働者などが体を休める場所だった。

カナダ知的財産庁HPによれば仲間と下水装置の特許をとっていたらしい。
後に生まれた久代は岳大の祖母。
学校では36人中6位の成績。
14歳の頃母トキが肺結核に倒れ、1年後に亡くなる
久代は一人日本へ。昭和8年。

平文雄と久代は昭和8年に結婚。
幹二朗が生まれてまもなく文雄は腸チフスで死去。
福吉の弟の家で幹二朗は暮し、久代は郵便局に勤め始める。
原子爆弾投下。久代の生存はしばらく不明だったが
終戦後しばらくして母と息子は再会を果たす。
靴紐を結ぼうとかがんだとたん爆弾投下。
建物の影で命は助かったが、黒い雨に打たれたため
吐血や抜け毛に苦しみ動けなくなる。
回復したものの頭髪は全て抜け落ち、被爆者差別に苦しむ。
ようやく高校の事務員の仕事を見つける。
高校に生徒数の把握に来た進駐軍の通訳をしたのがきっかけで
代々木に住み込みのメイドとして働くように。
幹二朗は広島県立上下高校の演劇部。
母は働いたお金を息子に充てる。
高校卒業後俳優の道に進む。
久代54歳にしてようやく幹二朗と再び暮すことに。

37歳で佐久間良子と結婚。
双子の兄妹、岳大と朋子誕生。
※STAR 75年7月号より
Img285
平成2年、久代死去。
「寒い寒い冬が来た
今に氷も張るだろう
寒い冬
過ぎても冬よまた来いよ
私は冬が大好きよ・・・」←学生時代の詩。

男の人の母を思う気持ちが切々と伝わる表情。
泣くつもりじゃなかった、といいつつ涙する息子幹二朗。

佐久間良子の特集が昔の雑誌にあったので。
(出典は上記と同じSTAR7月号)
練馬一帯の大地主の令嬢。
東映の大泉撮影所の一部も佐久間家の土地だったと記述がある。
「家の一歩手前を出れば、私は女優です」
家族3人でこの映像を見ればよかったのに。
夫婦間にいろいろあったのか佐久間家の歴史に触れないまま。
平岳大は好きな俳優さんの一人だが
デビュー遅かったのね。
BSでやった伊丹十三役がよかったなぁ。
平幹二朗は舞台がメインかな今は。

追記(2013.7.6)土スタに出てたんで見た。
独身だったのね(←短冊に「40までに結婚できますように」)。
15歳で留学。日本人のいない学校を探した。
サラリーマンから俳優を志すも、母の反対に遭い毎日ケンカしていた。
テレビでスペイン語の充実度ときたら。昔の堅苦しさとはえらいちがい。

追記 2016.10.24 父幹二朗さんの訃報
関連記事 肝付兼太さんも平幹二朗さんも逝ってしまって思うこと

Img286

2013.01.28

NHK ファミリーヒストリー 柳家花緑 小さん師匠。

昭和11年2月26日

近代日本最大のクーデター。2.26事件
兵士たちの中にいたのが柳家小さん。
歴史的事件の現場、極限状態の中で落語を披露した。

父親が離婚していなかったから、
ボクにとって師匠は祖父であり父親でもある。

小さんの父伝之助。
本業は農家。繭を取る養蚕農家だったが
伝之助は次男なので家を出なければならず、長野へ。
紡績工場の仕事を紹介してもらい、山梨から来ていたてふと結婚。
大正4年生まれの末っ子が、盛夫(小さん)。
やがて金貸し業を始めるが、お人よしで取立てが出来ず
夜逃げ同然で長野から浅草へ。
並外れた話術の持ち主である盛夫は人気者に。

結核をわずらっていた7歳年上の兄は物語を語って聞かせることが好きだった。
18歳で亡くなってしまったが、話好きは兄の影響である。

驚いたのは小さんの中学時代の同級生が
97歳で未だ御尊命なこと。

小さん師匠が剣道をするシーンは
ドラマやCMでもよく覚えている。
ま、なんといってもあさげひるげゆうげ。
お湯をさすだけの味噌汁がこのひとにかかると非常にうまそう。

中学を卒業した小さんは法律事務所で働く。
生まれて初めて行った寄席に衝撃を受け
18歳で落語の世界に。
「落語界一の人格者」と新聞記事になった4代目小さんに弟子入り。
師匠が舞台に上がると、袖で懸命に練習。
だが陸軍に招聘される。銃機関銃を扱う部隊に配属。
歩兵第三連隊。
入隊して1ヵ月後
初めて実弾を手にし、どこへいくか聞かされないまま出発

二等兵に行き先を聞いたが俺もわからないと言われ
偉い人の警備に行くんだ、とだけ。
部隊が到着したのは警視庁。
上官からは東京の治安維持としか聞かされず。
当時の同期の方も98歳で生きておられた。
「世間からは悪者と思われても、自分たちには情報が入らないからわからない」
半蔵門交差点で、兵隊が封鎖する姿を目撃した人も。

詳しい状況が兵士たちにわかったのはその日の午後。
決起から2日後、食料が届かなくなる。
昭和天皇が決起部隊の鎮圧を命じていた。
反乱軍とみなし包囲したからである。

畑和(はた やわら)。後の埼玉県知事。歴代最長、20年務める。
「部屋の中は興奮と怒声。何か悲愁を感じずに入られなかった。」
その時一人の長官が盛夫に近づき
「みんなを笑わせ 落ち込んだ士気をあげろ 落語を一席やれ」
披露したのは「子ほめ」
ちっともわらわねぇんだよ。生きるか死ぬかなんだから
そこで一席やったって 笑うわけがない
生涯で唯一うけなかった落語。(小さん)

29日 決起部隊は投降を決意。


「反乱軍」の汚名は重くのしかかり
2ヵ月後に歩兵第三部隊は満州へ。
70キロの行軍を強制される。
つらい時こそ仲間を笑わそう、と必死になる。
昭和14年除隊。高座に復帰し、二ツ目に昇進。
昭和17年結婚。生まれた娘はのちの花緑の母。


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強くないと人にやさしく出来ない
こういうときの経験が人を作るんだなって
伝之助さんの話はあんまり知らなかった。(花緑)
花緑さんは昭和46年生まれか。
ずっと小さんの孫と言われるプレッシャー。
あえて厳しく接した小さん。
亡くなる3ヶ月前まで高座にあがっていた。



昭和20年、終戦になってもベトナムのツーランで捕虜生活。

ここでも仲間を元気付けようと渾身の落語を披露。
笑いが出てきて 気分がほぐれる。
つらい時こそ笑いが希望になる。

落語評論家 川戸貞吉(師匠とは40年来のつきあい)
「人前でやって初めて ここでうけなかったのはなぜだろうと
考える。落語はそうやって習得していくもの」
昭和22年 真打昇進。

最古の映像は昭和43年(←あっ、ワタシの生まれた年)
平成7年人間国宝。
「芸は人なり」
人間性
心が汚れていると出てくるものはみな汚い
ずるいやつぁずるい。生意気なやつぁ生意気な噺。
心は清廉潔白でなくちゃいけない
「守 破 離」
さいしょは師匠の教えを守り
それが出来たら師匠の型を破らなくちゃいけない
ほうぼうへ行って稽古をつけ
人の技量を取り込んでしゃべっていく
今度は自分の物をこしらえていく これが「離」



2013.01.22

nhk ファミリーヒストリー 徳光和夫

「屯田兵 開拓農民で北海道へ渡った

それが我が家のルーツである」

当時屯田兵は4万人。
・えりも町に遠縁「徳光時計店」
曽祖父・治兵衛さんは江差でニシン漁をする漁師だった。
「江差の五月は江戸にもない」
明治15年、祖父賢五郎誕生。
15歳、幌泉に新天地を求め、漁師になる。
明治37年、日露戦争出征。203高地の戦いを生き延びる。
明治40年、北海道を出て神戸へ。つねと結婚。
・和夫の父寿雄誕生するも、離婚し父に引き取られる。
博覧会を運営する仕事についていた博覧会ブーム。
大正8年、空中文明博覧会の責任者だった。
祖父賢五郎再婚。上京し、電力会社に転職(昭和5年、西巣鴨で暮らしはじめる)

度重なる転居で友人が出来にくかった寿雄は、創作に興味を持つ。
詩人の同人会にも参加。映画に夢中になる。
その頃は無声映画。ハヤフサヒデトに感動し、映画監督を志す。
近所には大都映画の撮影所があった。
昭和7年、入社。助監督に。
「仕事が速く、頭が切れ、声が大きく威勢のいい方」
役者が足りない時に借り出されたことも。
そして短編映画の監督に。

マツダ映画社に1本だけ残されていた監督作品。
「五作ぢいさん」学校や公民館で上映。昭和14年。
税金を免除されているが、どうしても収めたいと
役人と押し問答。納税を奨励する映画。11分の短編。
主演は横山運平(1881-1967)日本発の劇映画に出演した名優。

寿雄は銀座の百貨店の店員と結婚。
昭和16年和夫誕生。

「民謡番組の司会をしたとき、江差追分を聴いて涙したことがあるんですよ
ルーツは江差だったことをはじめて知って、血が逆流するような
ゾクゾク感を味わった」


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●まとめ
てこたぁ2世なわけね徳光和夫。

・江戸時代の「徳光村」=現在の小倉南区徳光
 幕末、小倉藩は長州藩と戦う。
 祖先は北前船で北海道へ行ったことは考えられる。
・明治11年も現在も、江差には徳光姓が多い
 能登半島にルーツを持つ人も。にしん景気を目当てにきていた祖先も。
 江差町能登会結成。
・騎手の福永祐一と親戚であることもわかった。
 賢五郎の兄の妻とつながる。
 ズームイン朝の一番最初に伝えたニュースが
「騎手の福永洋一さん大怪我」
・氷川神社の狛犬を彫ったのは、和夫の母の父。須藤音吉。
・和夫の曽祖父は明治のベストセラー作家・服部誠一
・父・徳光寿雄
娯楽映画から日本ニュース映画社へ。
昭和17年、陸軍から依頼された長編映画の監督に抜擢
撮影に向かったのは三池炭鉱。
戦争で消失されたとされていたフィルムはNHKに。
・アテレコを考案
戦後ニュース映画社から日本テレビへ。
日本の映画会社はテレビ局に貸さなかったため
外国から借りることに。映画技術を駆使し
昭和31年、アテレコで「ロビン・フッドの冒険」放送。
ロビン・フッド役は外山高士。
最初から最後まで収録をきらずに録音する形式のため
NGを出すたびにやり直した。
関係者は「何たる暴挙」「映画芸術の破壊」と酷評。
視聴者には
「これなら外国映画もよくわかる」と好反応。
他に「名犬リーチンチン」「パパは何でも知っている」
・のちに日テレ報道局次長。現在102歳。
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嫌いな人には嫌いな毒光サン。
このルーツは面白かった。















2012.10.09

nhk ファミリーヒストリー 宮川大輔

宮川家は京都でも有数の問屋だったが

火事で多額の借金を抱えた。

普通の家では起こらないようなことが次々と襲い。

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いま父の雅次さんは個人タクシーの運転手。

祖父の芳太郎さんは

1922(大正11年)、16歳で京都に丁稚奉公へ。

櫛やかんざしを小売店に卸す問屋だった。

28歳で独立。小間物問屋「宮川芳商店」を開く。

昭和12年日中戦争。ぜいたく品の取引は禁止に。

昭和19年雅次サン誕生。店を烏丸通に移転。元旅館を自宅兼店舗に。

ナイロンなど新素材でバッグや風呂敷を売り出すと大ヒット。

雅次サンの友達って桑原征平サンやん。久しぶり見たなぁ。

家に遊びに行くと「坊ちゃん お友達でございます」3階に通され

京都の和菓子に爪楊枝も黒文字。ぼんぼん育ちなのは仕方ない。

「つらくても逃げるな。一生懸命に生きることが大事なんや」と

祖父は父に言っていた。

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●昭和37年、東洋フライ級タイトルマッチ 海老原×チャチャイ戦

観客に祖父の姿、という映像が残されていた。

桑原さんの証言によると判定負けしたチャチャイの控え室に

祖父が行き「ええ試合した」と慰めていたそうな。

祖母ユリ子サンは平安女学院卒。優等生でムードメーカー。

離婚して大輔サンの母親を育てた。

看護士時代は寝癖のひどい患者さんの髪をアップにしたり

心をつかむのが上手だったとか。

大輔サンの性格は祖母の影響が強い。

「人生は楽しい。 どうしよう あかんとおもったらそっちへ行く」

母方の5代前は永瀬源七。埼玉の鋳物職人。

大輔ちゃんのお祭り好きはこの人の作った神田明神の鉄製天水桶と

つながるかも知れず。

両親の馴れ初めもよかったし、芳太郎さんが亡くなる前日に

ご両親と一緒のドライブに誘ったなんて話も。

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大輔ちゃんが生まれた4ヵ月後、店の倉庫付近での

従業員の焚き火が原因で店は全焼。当時の京都新聞の記事も紹介。

立ち直って商売をするも、やがて経営難となり引越し

52歳で個人タクシーを始める。

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この番組すごいなぁと思うけど、家系図とか確固たる証拠品が

つながってはじめて説得力あるものになる。

先週の永瀬正敏もよかったし、いっとき見るかもしれない。

宮川大輔って一時なんや変な話があったけど

結構なにごともなくこうやってでてくるわけだし、いいんじゃないの。

へんなドラマ見るより面白いわ。

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あ「純と愛」出勤の遅いときに見てるけど

コメディなんかなあれ。いつも夏菜がわめいてるけど

みんなが腹から声出しすぎて怖いやら滑稽やら。

時々場面が早回しになるでしょ。その割には

「ストーカー」「人の本性が見える」2週目になってもまだ言ってる。

疲れるわ、と言いたいがドラマはこれから。

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