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徹子の部屋 阿川佐和子 父・阿川弘之のこと、お見合いの話。

阿川:去年(2015年)、8月3日に亡くなりました。94歳ですからもう大往生で。
徹子:お父様としてはもう少し長く書き続けたかったんじゃないの
阿川:元気な頃から「もう一切書くのをやめる」と言っていて。筆を折るって言うんですか、そんなことを言いながら本は読んでたものですから。親の話はなんとかだ、とかいうもので「じゃ、書いたら?」さり気なく「うーん・・」と言いながら入院しながらも、唸ってることはあったんですけど。出版社の人には「言うなよお前!俺は書かないぞ!書かないぞ!」言いながらね。

徹子:阿川弘之さんはなんといっても「山本五十六」とか「雲の墓標」それはともかくあなたのご結婚について。小さい頃はお母さんになるのが夢だった?
阿川:うちに勤め人もいなかったし、父の仕事と家庭とが一体になってましたでしょ。視点が主婦なんだけども、母が亭主の世話をしてるのしか、見たことがなかった。あたしも外で働くなんて、女性の活躍の場なんて想像もつかなかった。あたしも専業主婦になるんだけども、父よりもうるさくない男性を見つけて、幸せに結婚したいなって夢見てました。

 

■お見合い話

徹子:お見合いは何回かしたことがあったの
阿川:何回かやりました。
徹子:相手の男性にお父様が難癖つけたって?
阿川:若い頃「ちょっとこの人とお付き合いしようかな」と思うと難癖つけるんです。
    学生時代にちょっとお付き合いしてた人が背が高いと、
    「なんだあのマッチ棒みたいな奴は」なんか文句ばっかり言ってた。
    それなのに大学卒業してお見合いの話をいくつもいくつもやっても
    なかなかうまくいかなかったら、27ぐらいになってから
    「お前どうすんだ今後は!」って怒り始めて
    「歌舞伎の世界は27は老婆だぞ!老婆!」って言うんですよ(笑)
    「老婆どうすんだ老婆!なんでもいいからズボン履いてりゃ誰でもいいから
    結婚しろ!」「前に付き合ってたマッチ棒はどうしたんだ!」
    もうお別れしちゃって知らないですよ
    「好きだったんだろ?ヨリ戻したらどうだ?」そんな無茶な話がありますか。

徹子:お見合いの時ってあなた内気で
    初めての人とあまり上手に口がきけないってタイプだった?
阿川:根は無口ではないけど、初対面の人って、誰も助けは受けないで
    しゃべんなきゃいけないでしょ?女の方が静かにしてなきゃいけない
    「あの..ご趣味は?」とか。初対面経験というのは数打ちました。
徹子:今インタビューやってらっしゃる、とってもいい予行演習だったんだって?
阿川:今思えばね、無駄じゃなかった。全部話はまとまりませんでしたが。
徹子:現在まとまってらっしゃればいいじゃないですか
阿川:昔黒柳さんもお見合いなさって。。
徹子:3回しました。決まりかけました。
阿川:お母様とコートをお作りになった
徹子:ええ、オーバーを4枚作りました。いくら相手がいいお家でも、お洋服は作っていただけないだろうから、じゃオーバー作ってあげます、すっごい綺麗なピンクで、グレーの柄のついたオーバー。でも結局なんだかんだで、最終的にやめたんですよあたし。

阿川:お見合い話を
徹子:なんていうの、結納近くまで行ったんですけど

阿川:もうお勤めしてらしたんですか、その時
徹子:NHK入ったばっかりの時。テレビ見てて「こいつ俺がお見合いして振った奴だぞ」言われると嫌だから、振ったほうがいいなあと。ごめんなさいと謝りに行った。とても良かったんですけどやめたんです。あたしがオーバー着て出かけようとしたら母が「結婚詐欺!」(笑)毎週言われてました。成れの果てで結局行かれなかったんですけど

阿川:黒柳さんについていきます
徹子:いえいえあなたはまだ若い

※ここまででまだ5分しか経ってない

 

■亡くなる時の話
10年前(2006年)、父娘で徹子の部屋に出演。

阿川:息引き取る瞬間には間に合わなくて、1時間近く経って
    たどり着いた時には止まってまして
徹子:あなたお父さんの耳元ですごい大きな声で(笑)
阿川:日野原先生から昔、死にかけたと言ったらアレですけど
   「色んな体力はなくなるけど聴覚だけは残る」お話を伺って
   まだ聞こえるかなと思いまして「もしも~し!」
   「父ちゃん聞こえる?」とか言って
   そのちょっと前に父の昔書いた本の増刷が決まって
   「何部増刷」って言うと決まって父は「いくらだ」言うんですよ(笑)
徹子:お金の話から入るわけですね
阿川:それを言うと喜んで息を吹き返すんじゃないかと。
    ちょうど30万入る事がわかってたので「30万!」(笑)
    「30万だぞ!よかったな!」ピッと起きたらいいなと思ったんですけど
    起きなかったです。
徹子:でも聞こえたでしょ
阿川:どうなんでしょう。あたしが何べんも大きな声で。みんなしんみりと涙を流してるのにあたしが「30万!」看護婦さんがぷっと笑って。何をやってんだこの娘はって感じ。
徹子:世間では偉大だと思ってたお父さん。亡くなるときあなたはどんな気持ちでしたか?
阿川:亡くなった瞬間は、あ、そうなんだと。3年半老人病院に入って足も弱めて寝たきり状態だったので。頭はしっかりしてたのでなおさらのこと、今の状況が情けないというか、自由は利かないし。「さっさと死んじまいたいよ」と言ったり。 周りの仲良かった、遠藤周作さんとか北杜夫さんとか、親しい人達みんな亡くなった。父としては早くあっち逝きたいって気持ちが強かったように思ったんですね。口では言ってても生き残りたいように思ったかもしれないけど、痛みもなく比較的安らかに亡くなったので、よかったなという気持ちが ちょっとありましたね。これ以上苦しむのも辛いだろうと。

 


■すき焼きと最期の言葉
阿川:病院は本当に美味しかったんですよ。でも長く入院を続けると飽きてきちゃうんで。
徹子:大体細かく刻んであるでしょ?
阿川:噛む力も少なくなってくるから、まずいって言い出したんでどうしようかなと思って。とにかく食べることが好きだったもんですからね、なんとかうまいって言わせてやろうと思いまして、はたと気づいて病室に電磁調理器を置いて。そこにすき焼き鍋をおいて。材料持ってってジャーっとそこですき焼きを。他の病室からクレーム来るんじゃないかと思ったんですが、病院の方々が本当に親切で、大丈夫大丈夫って言って。すごく協力的に。さすがにやわらかいものしか食べないようになりましたけどね。牛肉とお豆腐なんかを焼いて、熱々が食べられるんですね。わりに頻繁にすき焼きをやってました。
亡くなる直前だったんですけど、とうもろこしの天ぷら好きだったと思って、うちでチャッチャッといい加減に揚げて、持ってって「作ってきたんですけど食べますか?」「あぁ」口に入れてしばらくしたらべぇっ・・ティッシュに取ったら「まずい」(笑)これが父の私に対する最期の言葉となりました。最後まで家に帰りたがってましたし、「母さんと別々に俺はここで死ぬのかな」なんて呟くように言うんですよ。かわいそうだな、なんとか家に連れて帰ろうと思うんですけど、そうするとあたし、仕事全部やめなきゃいけないし、それは大英断だなと思って、結局連れ帰らなかったのは親不孝したなと。
徹子:いろんなことからするとね、清潔でいられるしね。
阿川:入院してから母に対する発声ぶりは凄かったんですよ。周りに聞こえるよに怒鳴り散らす、しょっちゅう泣いてるし、娘から見てもあまりにひどいから「離婚したら?」小さい声で。それぐらい母にガンガンガンガン言ってて。私が母を連れて行くと「お前は大丈夫か?」(母の)手を握って。うわ握ってるぞ、と思って(笑)母は照れくさくなって「佐和子の手も握ってあげてくださいよ」別に興味ないって感じらしいの。佐和子の手は興味ないの。帰ってから「母さん嬉しかった?手を握られて」聞くと「今更ね」(笑)

  
   
      

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