サワコの朝 近藤真彦 今でもギンギラギン
真面目な話なんですけど、レーサーをやってて。若い頃なんですけど。
やっぱその頃に何回かクラッシュしてるんですよ。
首の付け根とか、若い頃はそういうの痛くないんですけど
最近首がちょっと痛くなってきて、弱ってきて。
先生に相談したら「しょうがないですね。もう歳ですから」と・・(笑)
35年・・もたないと思ってました。
15歳で金八先生に出て、16歳で歌を出しました。
その頃俺やんちゃだったし、まぁあまり評判良くなかったですね(笑)
「スニーカーぶる~す」は大ヒットしました。
やっぱ調子に乗っちゃうんですね。調子に乗ってました、たぶん。
大人たちが困るようなことをおそらく
あっち行っちゃダメだよ、ってところに行ってたし
「こんなスケジュールだよ」「それ嫌だ」
社長のジャニーさんに
「ほんとにYOUは来年いないから」「3ヶ月しか持たないだろ」とか
脅かされてましたね。
35年なんて想像もできなかったですね。先輩がいなかったですから。
阿川:あたしにとっては、ジャニーズかフォーリーブス・・
でもジャニーズが全盛期の頃、僕小学校上がってるか上がってないかぐらいですね。
郷ひろみさんは、ジャニーズ事務所に入った時にもういなかった。
(先輩は)いたんですけども、多分ご存じないと思います。
川崎麻世知ってます?(笑)あの方一人でした。
あの人も、今より有名じゃなかった。今有名ですね。
阿川:別な意味で有名になった・・
そうですね。ただ僕すごく仲いいんですよ。一つ年上なんですけど。
■ザ・ベストテン
出てる時は子供なんで、今日何位かなあ、5位かな4位かな3位かな、
「何位?」「5位です」「誰だ1位とったの」(笑)
「沢田研二さんです」「それはしょうがないな」(笑)
■記憶の中で今もきらめく曲
ベイシティローラーズ「二人だけのデート」
音楽だけはマセてまして、友達の影響で
その頃ビリージョエル、ハードロックのKISS・・
僕が好きなのは、その中でもアイドルっぽいベイシティローラーズ。
タータンチェックのグループだったんですよ
すごく好きで、部屋にポスター貼ってたり。
なんかそのとき友達と、ベイシティローラーズ聴きながら
レコードです、もちろん。
「あの子可愛いね」とか「バレンタインのチョコレートもらったんだよ」とか
そういう感じの甘酸っぱい話を、今聴くと思い出しますね
う~んなつかしいなあ
中学2、3年生ぐらいの頃に、いましたよ、ひとりだけ。
手をつないだか繋がないかぐらいな感じでしたよ。
阿川:手をつなぐだけで体中に電線が
の、時代でしたよ。今でもそうですけど。
阿川:15歳の時は、野球やってらしたんですか?地元で
そうでしたよ。はい。
野球やってた監督さんのお嬢様が「ジャニーズJr.募集」の記事を見て
誰か送ろうと思った。で、近所にそんな子いないかなと思って
野球の少年の写真はあるかと。後から知ったんですよ。
見て「この子がいいんじゃないかな」がたまたま僕だったんです。
僕の全身の写真。バット担いで帽子かぶってんですよ。
お姉さんはその写真を送ったんです。事務所に。
社長さんがパラパラめくって「ん?」と思ったのがたまたま僕。
いまジャニーズ事務所に送られてくるような履歴書、
もうメイクしてスタジオで撮って。下手すりゃ修正してるぐらいな(笑)
今でもジャニーさんに言われるんだけど
「こんな顔のちっちゃな写真からYOUを探したんだよ、大したもんでしょ」
「感謝してます」「ところでYOU、あの履歴書持ってない?」
俺が持ってるわけないじゃないですか(笑)
■金八先生
武田鉄矢さんが長いセリフを覚えてきて。何ページもあるじゃないですか。
カメラがずっと付いてくるんですよ。生徒の表情ひとりづつ。。
僕素人なんで、カメラの赤いタリーが気になって。
タリーがぱっと俺んとこつくと「映ってんのかな」ってカメラの方見ちゃう。
そうすると武田鉄矢さんが、ずーっと言ってた一番最後の最後で
「清」っていう役名だったんですけど
サブが上から「バカヤロ~清!!カメラ見るんじゃねぇ!!」
「武田さんすいません!!もう1回頭からお願いします!!」
よく怒られました。カメラ目線の生徒(笑)
■たのきん 田原俊彦
寮に一緒にいたんで。野村くんは東京出身だから通いだったんですよ。
トシちゃんと僕は寮にいたんで。僕の実の弟よりも長く生活してる。
ライバルとかライバルじゃないって
世間はおそらくライバルに仕向けたかった。
本人同士は何もない。けんかもぜんぜんない。むこうが4つ上。
富士スピードウェイでやったんです。
で、呼んでいただいたのが今もう引退されたんですけど
日本一速いと言われた星野一義さん。
その人の助手席に乗って走ったときに
「なんだこの世界は!」と思ったんですね。刺激を受けまして。
歌手生活は頭になかったですね。
興味なくなっちゃいました。
「ギンギラギンにさりげなく」の時代は山の頂上で
少しづつ降りていかなきゃいけない時代だったと思うんですよね。
レーサーになるからという話じゃなかったんですけど
ちょっと逃げましたね、レースの世界に。
下山してる自分を見たくなくて。
25、6だと、曲は出したらヒットさせなきゃいけない気持ちがすごくあって
疲れちゃってたんですかね。
自分が芸能の世界に戻っても
自分のシートがあるとは思ってなかった。
飽きられてると思ってた。辞める話はなかったし、やろうという話もなかった。
サーキットにいて辛い予選があって、シャワー浴びてテレビ付けると
華々しい後輩たちが出て歌ってる。
それは見れない自分がいましたね。悔しいというか。
だれかなぁ覚えてないなぁ。SMAP、その前とかぐらいですかね
見て複雑な気持ちでした。すぐ消しちゃいました。
30過ぎて、ギンギラギンのマッチだって言われることに抵抗もある時期があった。
今はニヤッとしますね。何年ギンギラでいられるか。
ここ2~3年、そういう気持ち。
伊集院さんの曲で言うと「愚か者」とか
今ツアーでようやく歌えるようになったな、と。
いい曲だったらいいという気持ちが強くなった。
「俺ヒット曲いっぱいあるから。俺のヒットは1曲2曲じゃない」って言ったら
「私たちが流行らせたんだ!」って言われました(笑)
もう謝るしかない。すいません確かにその通りです。
伊集院さんとはいいタイミングで会ったりして
ちょうど結婚どうしようかなと悩んでたりするんですよ
向こうのご家族から反対されてたんですね。
やんちゃのマッチしか知らないんで
「やんちゃのマッチに嫁に出すために育てたんじゃない」と
そういう感じでしたね。
「そういうもんだよ。でも扉をたたき続けなさい。
そうすればいつか開きますから」と。飲むわけですよ。
ほんと兄貴なんですよ。この場で言えることはそのぐらいですかね
言えないことが多くて(笑)
■今元気になれる曲
映画「ロッキー」テーマ
ヘロヘロになって辛い時にもうちょっとやってみようかと
あの音楽はよくできてますね
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今週はマッチ週間。
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(修学旅行先で歌ったのは記憶になかった。毎週見てたはずなのに)
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